2005年03月

2005年03月25日

■道徳心もベンチャーも大事?

永田町ではライブドアVSニッポン放送の話題で賑やかです。焦土化作戦にポイズンピル、ホワイトナイトと普段聞きなれない言葉が飛び交いますが、経産省のOBや金融部会の皆さんはここぞとばかりにわか評論家になり、あちこちで講釈をしています。昨日からはソフトバンクも参入し、暫くは目が離せそうにありません。
 さて、党内にはホリエモンに親しい仲間も数多くいて彼の生の声を聞く機会も度々あります。会って話を聞けば親しみを感じるのですが、テレビに映し出される彼はどうしても日本社会の秩序を乱す成り金のTシャツ野郎のイメージは拭えません。しかも彼のバックは外資で国賊だとも言われています。
もし、彼が礼節を重んじる好青年であったら与論はもっと味方するのにと思うと、一番怖いのはメディアかもしれません。ある意味マスコミにいじられてきた彼がメディアを支配したいと思うのも分からなくもありません。
ここで私達若手が気を付けなくてはいけないのは、「業績が良くても歴史の無い会社の若い経営者では社会は受け入れない」という日本風土を作ってはいけないと言う事です。
構造改革が進めば既存の業界の枠組みは自然に変わっていき、そこには必ず新しい産業が生まれます。ベンチャーへ投資が向けば新たな国内産業を創り出すチャンスはこの国にはまだまだある筈です。新しい企業の創造には「変わり者」や「礼儀知らず」も必要でしょうし、それを飲み込んでいく社会の幅が重要で、もっと申し上げればその前の教育を直せば修正は可能と思います。「金があれば何をしても良い」という価値観は我が国ではいやらしいと言う道徳感を持っていればもう少し賢いホリエモンが登場して古い経済社会に風穴をあけてくれる事でしょう。
資本主義社会の中で常に国益を第一に考えれば、外資の台頭はバランスを考えなくてはなりませんが、かつて日本企業がワイキキやウエストコーストのホテルを買い占めた事を考えるとお金は世界中を廻っているのかもしれません。経済は難しいですね・・・。


hagiuda1 at 16:41|Permalink

2005年03月21日

■八王子の味方は国の敵?

私が国政に参画以来、八王子市にとって最大の難問の一つであった東京地方裁判所八王子支部・地方検察支部の移転問題が一歩前進しました。「今度は裁判所が移転ですって、萩生田さん何とかしてよ!」当選来、街中でよく言われるのがこのフレーズでした。もちろん白紙に戻したいと思い取り組みましたが私が国政に参画したのは平成15年11月。裁判所の移転問題が正式に決定したのは同2月。当時は野党が八王子の代表の時代で既に試合終了後のマウンドに立たされた感がありました。当時は国からの情報が希薄で何がどうしたのかわからず、結局私の当選と同時に様々な問題が表面化してきたのでマスコミ報道も、あたかもこれから始まる話のようでした。

既に立川での移転地やPFI手法を導入する等、平成17年度での予算措置も決まっており、とてもとても白紙に戻る状態ではありませんでした。この間最高裁並びに法務省とも何度も話し合いを持ち、時には怒鳴り合いもございましたが私は終始、八王子の歴史的事実の検証に主眼を置き、移転後の市への配慮を求めてきました。早々に市の立場を理解した最高裁に比べ法務省の対応は会うたびに変化をし、本国会が開会してからは、市の要望は一切聞けないとの姿勢で私の提案でスタートした三省協議でも跡地利用については自省の独自案を強く主張し最近では外国人の出入国管理事務所も移転すると言ってきました。

私を含めて練りに練った市側の要求は大きく2つ、1つ目は地検が移転後の建物を子安にある税務所、南大沢の法務局、明神町の労働基準監督所等をまとめた国の合同庁舎として再築し市民サービスを便利にすること。2つ目は本市に集中した法務矯正施設のうち駅南口に至近の子安の医療刑務所を近い将来市内の別地へ移転させ街づくりの活性化を図りたいというものです。今日までの歴史的経緯を考えれば極めて妥当な要求と思います。
≪要望書≫八王子法務総合庁舎の地方合同庁舎化について(要望)

今まではこの手の要求は国の担当レベルへ要望書を出して後は国の対応次第という状況が続きましたがこれからはそうはいきません。私がまず国会の予算委員会で質問をし、今までの事実関係を質しました。本当にありがたかったのは国は昭和25年までの資料しか確認できなかったのに対し当方はそれ以前の八王子市議会の議事録が存在し明神町の地へ移転をしてくるまでの詳細の事情が確認できたことです。改めて地方議会の大切さとお会いしたことのない先輩達に八王子市議会の誇りを感じました。こうなると国会とはいえ裁判と同じで証拠が多い方が心象を良くするもので南野大臣はじめ、この話を初めて聞く法務省の幹部も「萩生田の言う通り」という雰囲気になりました。

質疑の後、政務官も「この勝負は八王子さんの勝ちだね」と声をかけて下さり、先日の黒須市長の大臣室訪問となりました。終始なごやかな会談は法務省と八王子市の信頼回復と今後の前向きな話し合いにつながるものと確信しました。帰りのエレベーターで送りに来た職員に対し職員の顔を知らない市長はイヤミなく「萩生田代議士は地元事情に詳しくて本当に助かるでしょう?今まではこんな訳にはいかなかったですよ!」と大声で笑顔で話しかけていましたが、話しかけられたのは本件の担当職員で私と言い争ってきた課長達で、バツ悪いように苦笑いをしていました。

八王子市にとっては頼りになる男も法務省にとっては予定外の面倒くさい男だったと思います。この上は結果オーライを目指して双方のパイプ役としてがんばらなきゃです。

(詳しくはトップページの2/25予算委員会法務分科会ビデオを是非ご覧下さい。)

                       

hagiuda1 at 12:41|Permalink

2005年03月14日

■政治家としての責任

 あってはならない不祥事が起きてしまいました。しかも東京選出の仲間からで、ここ2〜3日はマスコミの取材対応にぐったりでした。
第一報が入った時には「間違えであってほしい」と願い、事実関係の確認を急ぎましたが、時間が経過するにつれ事件は決定的となりました。

日頃から明るく前向きな男で、都議時代は一期先輩で同世代という事もあり特別意識した訳でもないのですが、若干距離がありました。国政に挑戦が決まってからは共に政策勉強会をくり返し首都東京にふさわしい「東京マニフェスト」を策定し取り組んできました。とりわけ中小企業振興や、商店街の支援には熱い思いを持っていて、ユニークな発想で私達を驚かせますし、私が部長を務める都連の青年部活動にも積極的に参加し、昨年はベトナム視察へも一緒に行き、都市の国会議員らしい質疑を先方の政府と行っていたのが印象的でした。

元々、酒はあまり強い方でもなく又深酒をするタイプでもない彼が、仲間と別れて一人になってまで飲みたかったのはなぜなのだろうか? 事件そのものは弁解も擁護も出来るものではなく極めて遺憾でありますが、数少ない同じ経歴を持つ仲間として日頃から悩みがあったとすれば、相談相手になりえなかった事を残念に思います。
 羽田空港の再拡張・国際化は二人の大きな政治目標で党の部会でも打ち合せするまでもなくかけあいで質問をしてきたのにそれもかなわなくなります。

奥さんや元気な息子達の事を考えると胸がつまる思いがいたしますし,会う機会があれば「バカヤロー!」と言ってやりたいのですが、この上は彼が心からの反省をしてこれからの人生をどういう道にしろ信頼を取り戻すことができるよう全身全霊を傾けつぐなわなくてはなりません。私も身近で起きたこの事件を他人事ではなく受け止め東京の政治信頼に向けがんばる決意です。

ぶん殴りたい程腹立たしく、むなしい事件でしたが、それでも彼が何かで再起をしてがんばってくれます事を友人として信じます。
ご心配をおかけした皆様におわびを申し上げます。


hagiuda1 at 14:10|Permalink

2005年03月08日

■久しぶりの風邪でダウン

 正月からノンストップでがんばってきましたが、ついに熱でダウンして しまいました。 最初は花粉症がでてきたと思ったのですが、あれよあれよと38.5℃。 久しぶりの熱にはなす術もなく只々弱るばかり。休むのが一番なのは 承知をしているのですが、総務委員会が夕方5時から3時間の予定であり、 週末でさすがに代わっていただける仲間は皆地元へ戻っており万事休す。 病院に行きたくとも保険証もなく、古巣の都立病院へ無理を言おうと 思ったのですが、何と院内には専門医が常駐する医務室がありました。 しかも委員会開会中は院規則で最後まで開けてあるとの事。 確かに議員、秘書、政党職員等を合わせれば数千人の職員が 働いているわけですからあって当然ですが、学生時代の保健室を 思い出しながら恐る恐る行ってまいりました。 思ったよりしっかりとした施設で診察の後、大臣達も 緊急避難的に飲む薬を7種類も貰い委員会に臨みました。 熱は一時的に下がってしまい(たぶんきつい薬なんでしょう) 少し驚きました。ちなみにインフルエンザは予防接種をしておりますので 大丈夫でしたが、結局普通の風邪を引いてしまいました。 都議会の同期の皆さんとの定例の懇親会があったのですが、 さすがに欠席をし真っすぐ帰宅しました。 普段は健康のありがたさをついつい忘れがちですが改めて痛感した 週末でした。

hagiuda1 at 10:39|Permalink