2005年07月
2005年07月30日
■日韓国交正常化40周年記念・訪韓団
昨年の台湾に続き全国の青年局の役員の皆さんと党本部青年局との合同海外研修が実施され国際部長である私は副団長として同志110名と共に訪韓しました。
今年は日韓国交正常化40周年の記念の年で日韓友情年事業の一環として、又立党50周年の記念事業として各都道府県の参加枠を1名増やして実施しました。
昨年の計画当初は「時機を得た企画」と評価されたのですがその後、年明けから雰囲気が悪くなり、反日デモも頻発し、直前まで韓国政府の対応もコロコロ変わる、およそ友情年とは思えない対応に事務局へも苦労をかけましたが、行ってみると我国の外務省の積極性に問題があることも原因の一つと感じました。最前線で接する大使館が、とにかく事を荒立てたくないという姿勢が党青年局の訪韓をある意味圧力に感じたのかもしれません。
さて、一行は出発前日、羽田エクセルホテルに前泊して結団式を行い、外務省北東アジア専門官から事前ブリーフィングを受け武部幹事長、チュ駐日公使を迎えパーティーを開き五日間の団結を誓いました。ちなみに羽田−金浦間は日4便のチャーター便が飛んでおりますが、連日殆ど満席で8月1日からは8便が飛ぶ事になります。東京に集合となった千葉県連の皆さんも「複雑ですが実は便利ですよね」と話され羽田の国際化に向けても良いアピールの機会でした。

ソウル到着後は国立墓地に全員でお参りし、献花をさせていただきその後文喜相(ムンヒサン)ウリ党議長はじめ要人の皆さんを国会内に表敬し意見交換を行いました。
文先生は韓日議員連盟の会長(当方は森前総理)も兼務されている事もあり親しく皆さんを迎えて下さいました。
その後、国会議員グループだけのミッションでハン副総理兼財政経済部長官を訪ね日・中・韓経済の問題点について様々な議論が交わされました。但し、韓国は大統領制の為、内閣はその都度、役人や学者、政治家から登用されるのですが、長官はいかにも役人そのものでお世辞一つ言わずに淡々と経済の話ばかりするのがかえって面白かったです。
夜は延世大学の外交専門の教授の金先生を迎えての夕食会。金先生は谷本副団長の友人であり東京で会食をしたこともあります。日本をよく理解する金先生のような方が多くいらっしゃれば正しい歴史認識も共有出来るのにと感じました。


翌日は韓国の若手国会議員を招いての朝食会からスタートしましたがウリ党の若手の方々は日本への被害者意識が高く、未来志向と言いながらも、ではどうしたら仲良くなれるのか皆さんも首をかしげるばかりでした。その後全員で板門店を視察しました。偶然とは言え6者協議が再開された日に境界線を越え少しだけですが北朝鮮領土に入った事に何かこの問題と私との因縁を感じずにはいられませんでした。
中々機会の無い板門店訪問に地方議員の皆さんも平和の尊さを知っていただく良い視察でした。
三日目は早朝より独立記念館を訪問しました。韓国の歴史が年代ごとにブースになった博物館で特に第二、第三ブースは日本統合時代の展示がなされておりますが、多少誇張した部分も多く、蝋人形によって独立運動家を拷問する日本兵や、日本へ強制連行され九州の炭鉱で労働を強いられた写真等は事実とは異なる説明に反論する仲間もあり、持ち帰って事実確認をし、再度申し入れをする事としました。
過去の歴史から目を背けるつもりはありませんが、あの展示を見た韓国の子供達が日本人に好感を持たなくなるのも無理も無いと思います。最近では日本の高校生も修学旅行で訪れる事も多く自虐的な歴史感を養うには絶好の施設なんでしょう。真実は伝えなくてはなりませんが説明と異なる写真やビデオについては一日も早く改めなくてはいけません。
午後からは国会へパク副議長を表敬し懇親の機会をいただきました。パク先生は爆弾酒(ウイスキーのビール割)の発案者で親日派です。
穏やかな語り口で「とにかく日韓は理屈抜きで仲良くすべき。お互いに往来をする人が増えれば誤解は生まれない」とお話いただきました。その後はウォン・ハンナラ党最高委員を迎えての講演会を行いました。さすが将来の大統領候補と言われているだけあり、バランスが良く団員からも共鳴の声が多くありました。彼とはこの5月のワシントンでお会いしており「萩生田さんとはこれでアメリカ・韓国でお会いしたので次は日本ですね」と声を掛けてくれました。
4泊5日の研修でしたが、全国の同世代の地方議員の皆さんと共有の問題意識を持つ事は我党にとって最大の成果でアジアに特化し、この研修は続けて行く事を確認しました。
ちなみに私達国会議員は会期中に海外へ出る事は原則出来ず、院へ請暇願いを提出し、認められなくてはいけません。13名も若手が欠席した本会議では何があったのか心配する先輩もいたそうです。
連日、日本から送られる解散のニュースに「帰って解散していたらどうしよう」とヒヤヒヤしながらでしたが最も近い韓国との付き合い方を次世代の政治家が真正面から考える良い機会だったと思います。
ワールドカップの共催を経て我国では韓流ブーム真っ盛り。真の隣国と思っていた矢先に靖国や竹島問題等で最悪の環境を迎え外交の難しさを感じます。時間は掛けながらも玉虫色の決着はこの繰り返しにしかならず本当の「未来志向」で膝を交えた次世代外交の必要性を強く感じた研修でした。
今年は日韓国交正常化40周年の記念の年で日韓友情年事業の一環として、又立党50周年の記念事業として各都道府県の参加枠を1名増やして実施しました。
昨年の計画当初は「時機を得た企画」と評価されたのですがその後、年明けから雰囲気が悪くなり、反日デモも頻発し、直前まで韓国政府の対応もコロコロ変わる、およそ友情年とは思えない対応に事務局へも苦労をかけましたが、行ってみると我国の外務省の積極性に問題があることも原因の一つと感じました。最前線で接する大使館が、とにかく事を荒立てたくないという姿勢が党青年局の訪韓をある意味圧力に感じたのかもしれません。
さて、一行は出発前日、羽田エクセルホテルに前泊して結団式を行い、外務省北東アジア専門官から事前ブリーフィングを受け武部幹事長、チュ駐日公使を迎えパーティーを開き五日間の団結を誓いました。ちなみに羽田−金浦間は日4便のチャーター便が飛んでおりますが、連日殆ど満席で8月1日からは8便が飛ぶ事になります。東京に集合となった千葉県連の皆さんも「複雑ですが実は便利ですよね」と話され羽田の国際化に向けても良いアピールの機会でした。
ソウル到着後は国立墓地に全員でお参りし、献花をさせていただきその後文喜相(ムンヒサン)ウリ党議長はじめ要人の皆さんを国会内に表敬し意見交換を行いました。
文先生は韓日議員連盟の会長(当方は森前総理)も兼務されている事もあり親しく皆さんを迎えて下さいました。
その後、国会議員グループだけのミッションでハン副総理兼財政経済部長官を訪ね日・中・韓経済の問題点について様々な議論が交わされました。但し、韓国は大統領制の為、内閣はその都度、役人や学者、政治家から登用されるのですが、長官はいかにも役人そのものでお世辞一つ言わずに淡々と経済の話ばかりするのがかえって面白かったです。
夜は延世大学の外交専門の教授の金先生を迎えての夕食会。金先生は谷本副団長の友人であり東京で会食をしたこともあります。日本をよく理解する金先生のような方が多くいらっしゃれば正しい歴史認識も共有出来るのにと感じました。
翌日は韓国の若手国会議員を招いての朝食会からスタートしましたがウリ党の若手の方々は日本への被害者意識が高く、未来志向と言いながらも、ではどうしたら仲良くなれるのか皆さんも首をかしげるばかりでした。その後全員で板門店を視察しました。偶然とは言え6者協議が再開された日に境界線を越え少しだけですが北朝鮮領土に入った事に何かこの問題と私との因縁を感じずにはいられませんでした。
中々機会の無い板門店訪問に地方議員の皆さんも平和の尊さを知っていただく良い視察でした。
三日目は早朝より独立記念館を訪問しました。韓国の歴史が年代ごとにブースになった博物館で特に第二、第三ブースは日本統合時代の展示がなされておりますが、多少誇張した部分も多く、蝋人形によって独立運動家を拷問する日本兵や、日本へ強制連行され九州の炭鉱で労働を強いられた写真等は事実とは異なる説明に反論する仲間もあり、持ち帰って事実確認をし、再度申し入れをする事としました。
過去の歴史から目を背けるつもりはありませんが、あの展示を見た韓国の子供達が日本人に好感を持たなくなるのも無理も無いと思います。最近では日本の高校生も修学旅行で訪れる事も多く自虐的な歴史感を養うには絶好の施設なんでしょう。真実は伝えなくてはなりませんが説明と異なる写真やビデオについては一日も早く改めなくてはいけません。
午後からは国会へパク副議長を表敬し懇親の機会をいただきました。パク先生は爆弾酒(ウイスキーのビール割)の発案者で親日派です。
穏やかな語り口で「とにかく日韓は理屈抜きで仲良くすべき。お互いに往来をする人が増えれば誤解は生まれない」とお話いただきました。その後はウォン・ハンナラ党最高委員を迎えての講演会を行いました。さすが将来の大統領候補と言われているだけあり、バランスが良く団員からも共鳴の声が多くありました。彼とはこの5月のワシントンでお会いしており「萩生田さんとはこれでアメリカ・韓国でお会いしたので次は日本ですね」と声を掛けてくれました。
4泊5日の研修でしたが、全国の同世代の地方議員の皆さんと共有の問題意識を持つ事は我党にとって最大の成果でアジアに特化し、この研修は続けて行く事を確認しました。
ちなみに私達国会議員は会期中に海外へ出る事は原則出来ず、院へ請暇願いを提出し、認められなくてはいけません。13名も若手が欠席した本会議では何があったのか心配する先輩もいたそうです。
連日、日本から送られる解散のニュースに「帰って解散していたらどうしよう」とヒヤヒヤしながらでしたが最も近い韓国との付き合い方を次世代の政治家が真正面から考える良い機会だったと思います。
ワールドカップの共催を経て我国では韓流ブーム真っ盛り。真の隣国と思っていた矢先に靖国や竹島問題等で最悪の環境を迎え外交の難しさを感じます。時間は掛けながらも玉虫色の決着はこの繰り返しにしかならず本当の「未来志向」で膝を交えた次世代外交の必要性を強く感じた研修でした。
hagiuda1 at 12:13|Permalink│
2005年07月24日
■踊らないのに汗びっしょり
週末は各地の盆踊り大会を駆け廻る日々です。地方議員時代からはおつきあいのエリアも拡がり、中々お招きに応えられずに恐縮しながら行き先を決めています。ついつい親しい町会を飛ばしてご縁の薄い町会へ向かう傾向にあるのですが、最近は踊る間も無く挨拶をして失礼する位で、いただいた焼きそばを車の中で食べています。本当はテントの中で酒を飲み交わしながら地域の皆さんの声を聞いて問題の解決をしたり、具現化して行く事が私の政治家としてのエネルギーだった筈なのに・・・と寂しく思う事もあります。ただ、間違い無く多くの皆さんが政治環境の変化を少しずつ感じて、私に期待をしていただいております事です。「頑張って!!」、「頼むぞ!!」の声と「うちの町会に来なかったからもう応援しないぞ!!」と冷やかしながらの声、どちらも新しい力にして頑張ります。折角声を掛けていただいたのにお邪魔出来ない町会の皆さんにこの場を借りてお詫びを申し上げ更に頑張ります!
hagiuda1 at 17:43|Permalink│
2005年07月16日
■永田町は解散風
今週の永田町は参議院での郵政の採決結果をめぐって「解散風」一色でした。
既にポスターの写真撮りや選挙事務所を借りたと言う先輩もいて一期生は右往左往。私達東京は既に都議選で皆ヘトヘトで話題にもついて行けない状況です。
そんな中、党内を二分するもう一つの火種、「人権擁護法案」をめぐって水面下でのやりとりが連日あり、急な会議の連続でした。もともと人権を大切にする世の中を創る事には誰も反対ではないのですが、法務省原案では人権侵害の定義が極めて曖昧な上、独立した三条機関(公正取引委員会の様な形)が捜査権や強大な権限を持つ事となり、恣意的に使われれば自由な言論を封鎖されたり、逆差別にも繋がり兼ね無いと修正を求めてきました。
しかし4月の法務部会以降一度も再開がされぬまま党の政調会への提出が計られている事に危惧を持ち「真の人権擁護を考える懇談会」(会長平沼赳夫)を設立し今日まで様々な法案検証と個別代案の提示をしてまいりました。先週の郵政の対応結果を受け古屋座長より突然私に事務局長を代ってくれという事となり大忙しになった次第です。法務省は我々の指摘や要求にはいちいち弁解をするのですが、法施行となればいちいち説明しながらでは誤解を呼ぶだけです。「国会の審議の中で必要なら修正に応じます」という省の対応にいささかブチ切れて「ならば提出させない」という意志が強くなってきました。会期中に二つも分裂採決をするようでは党としての体をなしていないと国民から信頼を失います。
ここはギリギリの折衝で難局を打開すべく残り1ヶ月、熱い夏を走ります。
既にポスターの写真撮りや選挙事務所を借りたと言う先輩もいて一期生は右往左往。私達東京は既に都議選で皆ヘトヘトで話題にもついて行けない状況です。
そんな中、党内を二分するもう一つの火種、「人権擁護法案」をめぐって水面下でのやりとりが連日あり、急な会議の連続でした。もともと人権を大切にする世の中を創る事には誰も反対ではないのですが、法務省原案では人権侵害の定義が極めて曖昧な上、独立した三条機関(公正取引委員会の様な形)が捜査権や強大な権限を持つ事となり、恣意的に使われれば自由な言論を封鎖されたり、逆差別にも繋がり兼ね無いと修正を求めてきました。
しかし4月の法務部会以降一度も再開がされぬまま党の政調会への提出が計られている事に危惧を持ち「真の人権擁護を考える懇談会」(会長平沼赳夫)を設立し今日まで様々な法案検証と個別代案の提示をしてまいりました。先週の郵政の対応結果を受け古屋座長より突然私に事務局長を代ってくれという事となり大忙しになった次第です。法務省は我々の指摘や要求にはいちいち弁解をするのですが、法施行となればいちいち説明しながらでは誤解を呼ぶだけです。「国会の審議の中で必要なら修正に応じます」という省の対応にいささかブチ切れて「ならば提出させない」という意志が強くなってきました。会期中に二つも分裂採決をするようでは党としての体をなしていないと国民から信頼を失います。
ここはギリギリの折衝で難局を打開すべく残り1ヶ月、熱い夏を走ります。
hagiuda1 at 17:03|Permalink│
2005年07月08日
■郵政民営化関連法案が衆議院を通過しました。
すでにご案内の通り、わずか5票差という僅差でこの法案の根深さを感じた。
私も色々な想いがあり、特に委員会の終盤では都議選の時期とも重なり、修正案の質疑の中身も充分に確認するいとまも無く、万一、投票日前の採決という事であれば欠席も考えたのですが、最終的には政党人として党の決定に従い賛成票を投じました。マスコミは我党の反対票を投じた全ての人々を造反抵抗勢力と位置づけ、ことさら対立をあおり、又、反対や慎重論を唱えていた人が賛成票を投じれば執行部の脅しに屈し、解散を恐れ、郵政関連支援欲しさの臆病者とさげすむ。果たしてそんなに単純な構図であっただろうか?
私は兼ねてから申し上げてきたが民営化という選択肢はあって良いし、目指す方向は決して反対では無い。しかし一方で公社法を成立させ施行からわずか2年で急ハンドルを切る事への違和感と移行コストの二重負担に危惧を唱えてきた。又、党の部会の在り方にも疑問を感じずにはいられない。様々な問題点が指摘をされ、その払拭の為議論の最中に一方的に打ち切りをされ執行部一任を叫んで部屋を出て行った合同部会や、史上初の総務会の採決も誰が採決権があるのかも確認が無く、正当性に疑問が残り、それらの党内民主主義の崩壊を案じて抗議の反対をした仲間も大勢いた。親友の城内さんは直前に電話で「法案の是非も大切だが党の在り方に警鐘を鳴らしたい。安倍先生や皆さんに迷惑をかけると最後まで悩んだが派閥の退会届を出したので信念を貫かせて欲しい。」と言われ、党の将来を思う真剣さに「都議選の前と後と・・・・」都合の良い解釈で自分を納得させた自身の言動にいささか恥じらいを感じずにはいられなかった。
いずれにしても矢は放たれた訳で今後はこの法律をより良い方向に進化させ、国民の財産でもある郵便ネットワークをたとえ民営会社とは言え、どう守り育てて行くか?340兆を越える郵貯、簡保の資産が本当にこの国の為、上手に活用されるかどうか?完全移行する10年後までの間でしっかり手を入れて行く事が、私達世代の責任であると心の中で誓った。
私も色々な想いがあり、特に委員会の終盤では都議選の時期とも重なり、修正案の質疑の中身も充分に確認するいとまも無く、万一、投票日前の採決という事であれば欠席も考えたのですが、最終的には政党人として党の決定に従い賛成票を投じました。マスコミは我党の反対票を投じた全ての人々を造反抵抗勢力と位置づけ、ことさら対立をあおり、又、反対や慎重論を唱えていた人が賛成票を投じれば執行部の脅しに屈し、解散を恐れ、郵政関連支援欲しさの臆病者とさげすむ。果たしてそんなに単純な構図であっただろうか?
私は兼ねてから申し上げてきたが民営化という選択肢はあって良いし、目指す方向は決して反対では無い。しかし一方で公社法を成立させ施行からわずか2年で急ハンドルを切る事への違和感と移行コストの二重負担に危惧を唱えてきた。又、党の部会の在り方にも疑問を感じずにはいられない。様々な問題点が指摘をされ、その払拭の為議論の最中に一方的に打ち切りをされ執行部一任を叫んで部屋を出て行った合同部会や、史上初の総務会の採決も誰が採決権があるのかも確認が無く、正当性に疑問が残り、それらの党内民主主義の崩壊を案じて抗議の反対をした仲間も大勢いた。親友の城内さんは直前に電話で「法案の是非も大切だが党の在り方に警鐘を鳴らしたい。安倍先生や皆さんに迷惑をかけると最後まで悩んだが派閥の退会届を出したので信念を貫かせて欲しい。」と言われ、党の将来を思う真剣さに「都議選の前と後と・・・・」都合の良い解釈で自分を納得させた自身の言動にいささか恥じらいを感じずにはいられなかった。
いずれにしても矢は放たれた訳で今後はこの法律をより良い方向に進化させ、国民の財産でもある郵便ネットワークをたとえ民営会社とは言え、どう守り育てて行くか?340兆を越える郵貯、簡保の資産が本当にこの国の為、上手に活用されるかどうか?完全移行する10年後までの間でしっかり手を入れて行く事が、私達世代の責任であると心の中で誓った。
hagiuda1 at 18:44|Permalink│
2005年07月04日
■お陰様で二名当選する事ができました。
首都決戦、東京都議会議員選挙は自民党が48議席で都議会第一党を維持したものの、民主党が35議席と議席数を伸ばし都政にも二大政党の波が押寄せた厳しい結果となりました。八王子選挙区では石森さんが28,456票で4位、串田さんが25,447票で5位という結果で幸い逃げ切る事ができました。友党の東村さんと合わせて石原与党3名を本市から送る事ができた訳ですから、この時機にしっかりと街の力をつけていく努力をしなくてはなりません。
二名当選の至上命令のもと市議団の皆さんにも無理をして分かれて戦った甲斐があり三千票差に二人がおさまったのはありがたかったのですが、最後までハラハラの連続で自分の選挙以上に疲れました。期間中は石原都知事、安倍幹事長代理をはじめ7閣僚、20人を超える国会の先輩達が応援に来ていただき盛り上げていただきました。
これで国政、都政、市政の役者が久しぶりに全員揃った訳ですから、選挙中に訴えた「元気な八王子」を目指して「八王子復活劇」の始まりにしなくてはなりません。他ならぬその脚本や演出のプロデューサーを私が先頭で務める決意です。お世話になった皆様に心から感謝を申し上げ更に頑張る事をお誓いします。


二名当選の至上命令のもと市議団の皆さんにも無理をして分かれて戦った甲斐があり三千票差に二人がおさまったのはありがたかったのですが、最後までハラハラの連続で自分の選挙以上に疲れました。期間中は石原都知事、安倍幹事長代理をはじめ7閣僚、20人を超える国会の先輩達が応援に来ていただき盛り上げていただきました。
これで国政、都政、市政の役者が久しぶりに全員揃った訳ですから、選挙中に訴えた「元気な八王子」を目指して「八王子復活劇」の始まりにしなくてはなりません。他ならぬその脚本や演出のプロデューサーを私が先頭で務める決意です。お世話になった皆様に心から感謝を申し上げ更に頑張る事をお誓いします。


hagiuda1 at 16:43|Permalink│