2005年09月
2005年09月30日
■東京オリンピックよ再び!
去る9月18日、日本体育協会会長でもある森前総理と共に都庁へ石原都知事を訪問した。すでにご案内の通り都議会9月定例会の初日に2016年のオリンピック招致を所信表明に加えた事のニュースと一緒に都庁前の森会長ぶら下がりインタビューのシーンに私が出てきて「おやっ?」と思われた方も多いと思うが、私が都議会の時代から取り組んできた夢が一歩前進することができたと喜んでいる。森会長はJOCと共にこれから候補地を公平に比較検討して選ぶ責任者の一人ですから当日の会談の中身は残念ながらお知らせできませんが、そこに同席をさせて頂いた責任は将来へと続くと自覚している。知事はことさら代々木と神宮の再開発をちらつかせるが、同席したのは横山副知事と私の二人。
横山さんとの出会いは14年前の「多摩らいふ21」まで遡る。多摩移管100周年事業の都側の事務方責任者として立川に陣取った横山氏と、デビューしたての市議会議員だった私は本市から出向していた水野課長(当時、元学校教育部長)と共に多摩の可能性に胸を躍らせていた思い出が蘇る。ちなみに私が提唱し日テレの番組にもなった多摩地区の大学生を対象に行なった「80大学対抗ウルトラクイズ」は福沢アナの司会で三多摩の旧所・名跡を廻りながら各大学のチームを振り落とし決勝を八王子祭りの花火をバックに「子供科学館」で行なうという構成で地域イベントとしては評価も高く、多摩地域の最年少議員としての存在を内外に示す良い機会ともなった。そして「多摩らいふ」のとりまとめとして決定したのが「多摩国体」の開催でした。ところが多摩地域にはメイン会場になる第一種競技場も無く、また近年の国体は一流のアスリートが出場を敬遠し、日本記録は他の国際大会で出てしまい国民の注目も薄れつつある事に私は危機感を抱いていました。
国会に参画し、早速この国体改革を進め平成18年の兵庫大会からは夏・秋の一本化を、20年の大分大会からは選手規模を3万⇒2.5万に減らす代わりにオリンピックや国際大会の予選会的要素を加えて国内の最高レベルの大会にグレードをアップする事を決めてきた。そしてその延長で東京でオリンピックを開催できればと取り組んできた成果である。この機会に国内の競技レベルを上げる絶好のチャンスである事はいうまでもないが、東京の抱える20世紀中の問題である羽田空港の再拡張国際化、横田の軍民共用化、圏央道を含めた三環状道路の整備を進める事とそして何よりも多摩地域の振興につなげていく事も開催の大きな魅力である。「多摩らいふ」から積み上げてきた成熟した国際都市大東京の魅力を内外に発揮できるチャンスをこのオリンピック招致にかけてみたいと思う。「久しぶりだからちょっと二人にしてくれ」と知事に言われ席を外した後、かつての福田派の同志の再会は大いに盛り上がって笑いが絶えなかったそうだが、帰り際に森会長から「君、責任重大だぞ!石原さんがあそこまで言うんだからな。」と言われました。
あそこが何かはわかりませんが2016年、日本が、東京がどんな国になっているか真に責任は私達世代にある事は明らかだ。
横山さんとの出会いは14年前の「多摩らいふ21」まで遡る。多摩移管100周年事業の都側の事務方責任者として立川に陣取った横山氏と、デビューしたての市議会議員だった私は本市から出向していた水野課長(当時、元学校教育部長)と共に多摩の可能性に胸を躍らせていた思い出が蘇る。ちなみに私が提唱し日テレの番組にもなった多摩地区の大学生を対象に行なった「80大学対抗ウルトラクイズ」は福沢アナの司会で三多摩の旧所・名跡を廻りながら各大学のチームを振り落とし決勝を八王子祭りの花火をバックに「子供科学館」で行なうという構成で地域イベントとしては評価も高く、多摩地域の最年少議員としての存在を内外に示す良い機会ともなった。そして「多摩らいふ」のとりまとめとして決定したのが「多摩国体」の開催でした。ところが多摩地域にはメイン会場になる第一種競技場も無く、また近年の国体は一流のアスリートが出場を敬遠し、日本記録は他の国際大会で出てしまい国民の注目も薄れつつある事に私は危機感を抱いていました。
国会に参画し、早速この国体改革を進め平成18年の兵庫大会からは夏・秋の一本化を、20年の大分大会からは選手規模を3万⇒2.5万に減らす代わりにオリンピックや国際大会の予選会的要素を加えて国内の最高レベルの大会にグレードをアップする事を決めてきた。そしてその延長で東京でオリンピックを開催できればと取り組んできた成果である。この機会に国内の競技レベルを上げる絶好のチャンスである事はいうまでもないが、東京の抱える20世紀中の問題である羽田空港の再拡張国際化、横田の軍民共用化、圏央道を含めた三環状道路の整備を進める事とそして何よりも多摩地域の振興につなげていく事も開催の大きな魅力である。「多摩らいふ」から積み上げてきた成熟した国際都市大東京の魅力を内外に発揮できるチャンスをこのオリンピック招致にかけてみたいと思う。「久しぶりだからちょっと二人にしてくれ」と知事に言われ席を外した後、かつての福田派の同志の再会は大いに盛り上がって笑いが絶えなかったそうだが、帰り際に森会長から「君、責任重大だぞ!石原さんがあそこまで言うんだからな。」と言われました。
あそこが何かはわかりませんが2016年、日本が、東京がどんな国になっているか真に責任は私達世代にある事は明らかだ。
hagiuda1 at 17:46|Permalink│
2005年09月24日
■二度目の中央階段
9月21日、第163回特別国会が召集され、期待と緊張の中、初登院をいたしました。改めて、皆様から賜りました150,552票という大きなご支援に責任を重く受け止めながら、身の引き締まる思いで階段を上りました。1期目は何の景色も視界に入らない程、緊張いたしたのですが、今回は見慣れた風景や顔見知りの守衛さん達に囲まれ、「戻ってきた」という感を強くいたしました。
さて、この改選で与党が2/3を超える議会構成となり、この事は参議院で差し戻されたどんな議案でも衆議院で可決する事も可能ですし、憲法改正の発議も出来る強大な力を与えられました。この時期により謙虚に国民の声を聞き、将来にわたっての日本の土台をどうつくっていくのか大切な議論を時間をかけてしっかりやっていきたいと思います。同時に私より若い世代の皆さんも多くなり、その事は歓迎いたしますが、一方で戦後世代が8割に達し戦争への思いが様々になった事に一抹の不安も感じます。地方政治とは言え、同世代の誰よりも早く政治の世界へ入った者として多くの先人の方々から直接聞いた戦争体験や視察で何度も訪問した沖縄や知覧の地で感じた事を大切に平和国家日本を貫くためにどういうルールが必要か?過ちのないようしっかりと歩んでまいる決意です。
当選のあと、特別国会初日にしか使うことのできない二度目の中央階段を上る事ができた責任を胸に二期目の任期をがんばります。
hagiuda1 at 18:49|Permalink│
2005年09月18日
■2期目の当選を果たすことが出来ました。
■2期目の当選を果たすことが出来ました。
皆様のご支援に心より感謝申し上げます。
8月8日の突然の解散、総選挙は私にとりましても、はじめての経験で戸惑いを感じながら準備を始めました。ポスターもパンフも無い中、名刺1枚でのスタートでしたが、幸いにして「強い意志の会」の皆さん、「後援会」、「自民党支部」の皆さんを中心に串田、石森両都議が先頭に立って体制を作っていただきました。選挙事務所は横山町の一等地の銀行跡地が借りられ一週間のうちに事務所開き、総決起大会と多くの方々にご参集いただき又、公明党のご推薦も決定し東村都議はじめ市議団の皆さんも戦列に加わっていただき素晴らしいスタートが切れました。
告示日には「小泉総理が第一声を八王子で。」と連絡が来ましたが、証記が都選管から間に合わず、(八王子は都庁から遠いと言う事です。)18区武蔵野の次となりました。それでも出陣式には一万人を超える方々にご参集いただき盛大に選挙戦を迎え、大きな勇気をいただきました。
安倍幹事長代理には元八・恩方の方々のお骨折りとオーナーの江塚さんのご協力で開設した西部事務所前にて街頭演説会を開催していただきました。知名度の低いニュータウン地域では石原前国交大臣、細田官房長官も駆けつけていただき南大沢には初めて人だかりも出来ました。
最終日には台湾から帰国したばかりの石原知事が応援に来ていただき最高潮に盛り上がり追い風を送ってくれました。
結果は望外の150552票という全国でも上位の成績で、改めて期待をいただいた多くの市民の皆様に感謝を申し上げると共に何としてもその期待にお応えすべく、国政の場からしっかりと頑張る決意です。
政治は一人で出来る仕事ではありません。石原与党の串田さん、東村さん、石森さん3名の都議会議員。
党派を超えてご支援をいただいた市議会の皆さん。そして多くの市民の皆さんと手を携えて黒須市長の目指す「元気な八王子」に向かって同じ未来像を描きながら一つのチームで頑張れば、八王子の可能性を更に拡げる事が出来ると信じます。国政の同志ともスクラムを組んで次の日本の為、頑張る事をお誓い申し上げ、お礼と新たな決意といたします。
ありがとうございました。
皆様のご支援に心より感謝申し上げます。
8月8日の突然の解散、総選挙は私にとりましても、はじめての経験で戸惑いを感じながら準備を始めました。ポスターもパンフも無い中、名刺1枚でのスタートでしたが、幸いにして「強い意志の会」の皆さん、「後援会」、「自民党支部」の皆さんを中心に串田、石森両都議が先頭に立って体制を作っていただきました。選挙事務所は横山町の一等地の銀行跡地が借りられ一週間のうちに事務所開き、総決起大会と多くの方々にご参集いただき又、公明党のご推薦も決定し東村都議はじめ市議団の皆さんも戦列に加わっていただき素晴らしいスタートが切れました。
告示日には「小泉総理が第一声を八王子で。」と連絡が来ましたが、証記が都選管から間に合わず、(八王子は都庁から遠いと言う事です。)18区武蔵野の次となりました。それでも出陣式には一万人を超える方々にご参集いただき盛大に選挙戦を迎え、大きな勇気をいただきました。
安倍幹事長代理には元八・恩方の方々のお骨折りとオーナーの江塚さんのご協力で開設した西部事務所前にて街頭演説会を開催していただきました。知名度の低いニュータウン地域では石原前国交大臣、細田官房長官も駆けつけていただき南大沢には初めて人だかりも出来ました。
最終日には台湾から帰国したばかりの石原知事が応援に来ていただき最高潮に盛り上がり追い風を送ってくれました。
結果は望外の150552票という全国でも上位の成績で、改めて期待をいただいた多くの市民の皆様に感謝を申し上げると共に何としてもその期待にお応えすべく、国政の場からしっかりと頑張る決意です。
政治は一人で出来る仕事ではありません。石原与党の串田さん、東村さん、石森さん3名の都議会議員。
党派を超えてご支援をいただいた市議会の皆さん。そして多くの市民の皆さんと手を携えて黒須市長の目指す「元気な八王子」に向かって同じ未来像を描きながら一つのチームで頑張れば、八王子の可能性を更に拡げる事が出来ると信じます。国政の同志ともスクラムを組んで次の日本の為、頑張る事をお誓い申し上げ、お礼と新たな決意といたします。
ありがとうございました。
hagiuda1 at 10:16|Permalink│