2005年10月
2005年10月29日
■会期末。すべての人事はフリーズに。
永田町もいよいよ会期末を迎え各委員会は法案成立に向けラストスパート。一方党内の議連等は先の郵政法案を巡る対応によって離党された方々の抜けた役職もあり、本来でしたら直ちに役員選出というところですが内閣改造を前にすべてがフリーズ状態です。
部会と異なり議連はかなりテーマがはっきりしておりますのでその政策を進める同志的つながりがあり、もちろん賛同者のみの集まりです。例えば靖国問題では首相の参拝をめぐり、賛成派の議連と反対派の議連ではメンバーも切り口も異なりお互いに幅の広い議論がなされます。いづれの議連も誰が代表になるかによって党内力学も変わりますので空いた穴をどう埋めるかは大切な問題です。慣例で閣僚や副大臣は代表を務めませんのでここは誰が党へ戻るか、あるいは誰が入閣するかで興味津津です。
ちなみに私が事務局長を務める議連は全て会長不在、、事務局次長を務める議連は事務局長不在でいや〜な感じです。私が疫病神なのか、あるいは難しいテーマで大切にされてきたのか、、、いづれにしても内閣改造に合せて再開するでしょう。
部会と異なり議連はかなりテーマがはっきりしておりますのでその政策を進める同志的つながりがあり、もちろん賛同者のみの集まりです。例えば靖国問題では首相の参拝をめぐり、賛成派の議連と反対派の議連ではメンバーも切り口も異なりお互いに幅の広い議論がなされます。いづれの議連も誰が代表になるかによって党内力学も変わりますので空いた穴をどう埋めるかは大切な問題です。慣例で閣僚や副大臣は代表を務めませんのでここは誰が党へ戻るか、あるいは誰が入閣するかで興味津津です。
ちなみに私が事務局長を務める議連は全て会長不在、、事務局次長を務める議連は事務局長不在でいや〜な感じです。私が疫病神なのか、あるいは難しいテーマで大切にされてきたのか、、、いづれにしても内閣改造に合せて再開するでしょう。
hagiuda1 at 10:39|Permalink│
2005年10月21日
■議員年金廃止に急ハンドル
官邸の一声で議員年金は突然廃止の方向に動き始めました。「隗より始めよ」ですから社会保障制度改革、とりわけ年金制度の見直しの本格議論が始まる前に国民へのアピールとしては有効で賛意を示します。特に公費負担率が約7割というのは確かに理解しにくいものですが、私たちが毎月10万3千円を積み立てており10年経験し65歳を超え退職しなくては受給対象にならない事はあまり報道されず、優遇されている事ばかりが目立ちます。
もともとこの議員年金は国会法の退職金(一時金)を先人の皆さんの知恵で互助制度をつくって積み立てた事に起因します。当時は大選挙区や中選挙区時代で政治家になるには莫大な費用が必要で最後は「井戸と屑」しか残らないと比喩された時代です。しかもほとんどの方が立候補も高齢で死ぬまでやめない時代でしたのでどちらかといえば遺族年金のようなイメージだったのでしょう。現に我党では引退年齢が高く受給期間が短い方が多く3~4期で交代をした旧社会党や旧民社の方のほうが年月が長いとの事です。
小選挙区制度に移行し政党交付金制度もでき、私のような庶民でも国民の代表として働かせていただける環境になった今、老後に年間450万以上の年金は必要ないと思いますし、そんな事を当てにして議員を務めている人も私達世代にはおりません。しかし廃止というパフォーマンスで一時的な人気取りをする事で政治家は再び家柄や財力のある人しか目指す事のできない仕事になってしまうのではないか、更に世襲を固定的にしてしまうのではないかと心配もします。現状の国費負担は必要ありませんが、退職後せめて常識的なお付き合いができる程度の掛け金に見合った制度は残すことはできないものかとも考えます。
ちなみに私は議員活動は15年になりますが累積制度はなく、市議会も3期全うしておりませんし、都議会も1期、すでに一時金で返還されたお金は選挙費用に充当され地方議員年金受給資格はありません。これで国会も無くなるといよいよ落選する訳にはいきません!?命の限りやるようかもしれませんね。
もともとこの議員年金は国会法の退職金(一時金)を先人の皆さんの知恵で互助制度をつくって積み立てた事に起因します。当時は大選挙区や中選挙区時代で政治家になるには莫大な費用が必要で最後は「井戸と屑」しか残らないと比喩された時代です。しかもほとんどの方が立候補も高齢で死ぬまでやめない時代でしたのでどちらかといえば遺族年金のようなイメージだったのでしょう。現に我党では引退年齢が高く受給期間が短い方が多く3~4期で交代をした旧社会党や旧民社の方のほうが年月が長いとの事です。
小選挙区制度に移行し政党交付金制度もでき、私のような庶民でも国民の代表として働かせていただける環境になった今、老後に年間450万以上の年金は必要ないと思いますし、そんな事を当てにして議員を務めている人も私達世代にはおりません。しかし廃止というパフォーマンスで一時的な人気取りをする事で政治家は再び家柄や財力のある人しか目指す事のできない仕事になってしまうのではないか、更に世襲を固定的にしてしまうのではないかと心配もします。現状の国費負担は必要ありませんが、退職後せめて常識的なお付き合いができる程度の掛け金に見合った制度は残すことはできないものかとも考えます。
ちなみに私は議員活動は15年になりますが累積制度はなく、市議会も3期全うしておりませんし、都議会も1期、すでに一時金で返還されたお金は選挙費用に充当され地方議員年金受給資格はありません。これで国会も無くなるといよいよ落選する訳にはいきません!?命の限りやるようかもしれませんね。
hagiuda1 at 16:31|Permalink│
2005年10月14日
■小川道場 道場開き
八王子出身の格闘家であり柔道オリンピックのメダリストでもある小川直也さんが長年の夢であった子供達指導の為の小川道場を創設し道場開きが催されました。残念ながら八王子では無く彼が住んでいる茅ヶ崎ですが、地域にはすっかり溶け込み、地元の市長さんや河野太郎代議士はじめ彼の後見人であるFM横浜の藤木会長さん等、政財界・スポーツ界多くの友人に囲まれて盛大な会でした。本市からは明大校友会の会長で宝生寺の村田大僧正や柔道連盟の顧問でもある肉の山本の会長と共に出席しました。
選挙にも応援に来ていただいたご縁もあり、私は道場の顧問に就任し道場には木札もかかっております。挨拶で彼の恩師・故小野先生のお話と倉庫になっていた小野道場が先日、柔道接骨師を対象にした介護従事者の養成所に生まれ変わった事をお話しましたら小川さんもスピーチの中で小野先生との出会いを話され改めて故郷が八王子である事をPRしてくれました。自分の果たすことの出来なかった金メダルを目指す子供達を育てる事に全力で頑張る決意を示されました。ただ細木数子女史に道場の開設を占ってもらったら「ずばり言うわよ! 来年まで待ちなさい!」と言われたとの事で生徒募集は年明けなんだそうです。場内から野次が飛んでいましたがあと二ヶ月なのでしっかり準備をしてもらいましょう。海と緑の茅ヶ崎の地から世界にはばたく選手が育つ事を祈ります。
選挙にも応援に来ていただいたご縁もあり、私は道場の顧問に就任し道場には木札もかかっております。挨拶で彼の恩師・故小野先生のお話と倉庫になっていた小野道場が先日、柔道接骨師を対象にした介護従事者の養成所に生まれ変わった事をお話しましたら小川さんもスピーチの中で小野先生との出会いを話され改めて故郷が八王子である事をPRしてくれました。自分の果たすことの出来なかった金メダルを目指す子供達を育てる事に全力で頑張る決意を示されました。ただ細木数子女史に道場の開設を占ってもらったら「ずばり言うわよ! 来年まで待ちなさい!」と言われたとの事で生徒募集は年明けなんだそうです。場内から野次が飛んでいましたがあと二ヶ月なのでしっかり準備をしてもらいましょう。海と緑の茅ヶ崎の地から世界にはばたく選手が育つ事を祈ります。
hagiuda1 at 23:23|Permalink│
2005年10月13日
■1泊2日の外交
10月10日、中華民国94年国慶節に自民党青年局が国賓として招待を受け金子恭之青年局長を団長に8名で出席をいたしました。但し1泊2日の海外出張はさすがに始めての事で台北市での滞在は23時間という超ハード日程でした。前日夕刻に到着した私達を玉沢徳一郎先生が団長を務める日華議連の超党派の議員団と共に前駐日大使だった羅 亜東協会会長が歓迎会を催していただきました。
翌日は総統府前に準備された特設会場に約10万人の国民代表が集まり盛大な催しでした。前日からの雨が式典の直前には止み、南国の太陽があらわれ日差しが痛いほどの炎天下の中での式典となりました。終了後、陳総統は国交のない私達日本の訪華団と府内で面談をいただき「衆議院選を圧勝した自民党青年局が雨雲を追い払ってくれました。」とジョークを交えて歓談しました。何より前国会で可決した台湾からのノービザ訪日の実現に大変な敬意を表されました。
今年はすでに130万人の観光客が来日をし、愛知万博でも最も来場者の多かったのは台湾の方々でした。外見は中国人と相似してますので区別はつきにくいのですが、犯罪率やオーバーステイは1%以下でルールを守る親日的国家が台湾です。一方日本からは100万人の観光客が訪問をし民間レベルでもロータリーやライオンズ、リトルリーグやボーイスカウト等の交流が活発化しております。陳総統は「台北市長時代は何度も訪日をし、私の孫も行く日本になぜ行けないのか?残念でならない。一日も早く日本の地を踏める日を心待ちにしている。」と切実な要望がありました。
1972年以降、国交が途絶えている国が最も観光客も多く最も親日的という現実を一日も早く正常化しなくてはなりません。引き続き私のライフワークとして取り組みます。
翌日は総統府前に準備された特設会場に約10万人の国民代表が集まり盛大な催しでした。前日からの雨が式典の直前には止み、南国の太陽があらわれ日差しが痛いほどの炎天下の中での式典となりました。終了後、陳総統は国交のない私達日本の訪華団と府内で面談をいただき「衆議院選を圧勝した自民党青年局が雨雲を追い払ってくれました。」とジョークを交えて歓談しました。何より前国会で可決した台湾からのノービザ訪日の実現に大変な敬意を表されました。
今年はすでに130万人の観光客が来日をし、愛知万博でも最も来場者の多かったのは台湾の方々でした。外見は中国人と相似してますので区別はつきにくいのですが、犯罪率やオーバーステイは1%以下でルールを守る親日的国家が台湾です。一方日本からは100万人の観光客が訪問をし民間レベルでもロータリーやライオンズ、リトルリーグやボーイスカウト等の交流が活発化しております。陳総統は「台北市長時代は何度も訪日をし、私の孫も行く日本になぜ行けないのか?残念でならない。一日も早く日本の地を踏める日を心待ちにしている。」と切実な要望がありました。
1972年以降、国交が途絶えている国が最も観光客も多く最も親日的という現実を一日も早く正常化しなくてはなりません。引き続き私のライフワークとして取り組みます。
hagiuda1 at 15:17|Permalink│