2005年11月
2005年11月26日
■立党50年を迎えて
22日、新高輪プリンスホテルにて自民党立党50年の記念式典が行われました。
昭和30年11月15日。戦後10年を経った当時の自由党、民主党、GHQの元、たった9
日間で創られた現行憲法を自主憲法に改正する為、衆議院での発議に必要な2/3の議席を得るために合併して出来たのが今日の自由民主党です。
以来、激動の昭和〜平成の50年の間、一時期を除けば我国の政権を担当し国家の発展、繁栄に少なからず貢献をしてきたと思います。
しかし今だその最大の目的である憲法改正はなされておりません。当日、森新憲法起草委員長の下で、戦後はじめての新憲法の草案が発表された事は大変意義深い事です。
党の新理念・新網領も同時に発表されましたが教育基本法の改正や更に改革を進めて小さな政府を目指す事、世界一安心・安全な国家を目指す等責任政党としての目標と気概を示しました。大きな節目に国会議員として出席した責任を胸に一層の努力を誓います。
さて、先の衆議院選挙の圧勝を受け、おごる事無く謙虚に国民の声に耳を傾けけ・・・・
総裁も幹事長も同様の発言をしましたが、フィナーレは新人83人による立党50年宣言。
しかも先導はあの太蔵君。彼のアピールは立派でしたが、はたして今日まで苦労をし、党を築いてきた先輩が国民にとってこういう事が自民党が変わったという評価になるのかどうか?自民党の歴代総裁席では拍手もしない大先輩もいらっしゃいました。今や我々2期生は存在感0。「言ってる事とやっている事が違うよなー。」と羨望と諦めの声があちこちであがりました。
元々この役目は 谷本 新青年局長が務める事になっていたのですが直前で交代になったようで今後の党運営にも、しこりは残りそうです。
私達東京チームは折角お膝元にいるのですから前夜祭をやろうと言う事で半年前から準備をし、東京フォーラムの仮予約を入れ、アーティストとの出演交渉まで進めていたのですが、元々の11/15が紀宮様のご成婚と重なってしまった為、全てをキャンセル。あやうくキャンセル料を支払う羽目になってしまうところでした。
真の保守政党として「歴史と伝統・文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚に務め国際社会の責任ある一員として積極的に活動する」には私達世代の責任は本当に重要です。
昭和30年11月15日。戦後10年を経った当時の自由党、民主党、GHQの元、たった9
日間で創られた現行憲法を自主憲法に改正する為、衆議院での発議に必要な2/3の議席を得るために合併して出来たのが今日の自由民主党です。
以来、激動の昭和〜平成の50年の間、一時期を除けば我国の政権を担当し国家の発展、繁栄に少なからず貢献をしてきたと思います。
しかし今だその最大の目的である憲法改正はなされておりません。当日、森新憲法起草委員長の下で、戦後はじめての新憲法の草案が発表された事は大変意義深い事です。
党の新理念・新網領も同時に発表されましたが教育基本法の改正や更に改革を進めて小さな政府を目指す事、世界一安心・安全な国家を目指す等責任政党としての目標と気概を示しました。大きな節目に国会議員として出席した責任を胸に一層の努力を誓います。
さて、先の衆議院選挙の圧勝を受け、おごる事無く謙虚に国民の声に耳を傾けけ・・・・
総裁も幹事長も同様の発言をしましたが、フィナーレは新人83人による立党50年宣言。
しかも先導はあの太蔵君。彼のアピールは立派でしたが、はたして今日まで苦労をし、党を築いてきた先輩が国民にとってこういう事が自民党が変わったという評価になるのかどうか?自民党の歴代総裁席では拍手もしない大先輩もいらっしゃいました。今や我々2期生は存在感0。「言ってる事とやっている事が違うよなー。」と羨望と諦めの声があちこちであがりました。
元々この役目は 谷本 新青年局長が務める事になっていたのですが直前で交代になったようで今後の党運営にも、しこりは残りそうです。
私達東京チームは折角お膝元にいるのですから前夜祭をやろうと言う事で半年前から準備をし、東京フォーラムの仮予約を入れ、アーティストとの出演交渉まで進めていたのですが、元々の11/15が紀宮様のご成婚と重なってしまった為、全てをキャンセル。あやうくキャンセル料を支払う羽目になってしまうところでした。
真の保守政党として「歴史と伝統・文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚に務め国際社会の責任ある一員として積極的に活動する」には私達世代の責任は本当に重要です。
hagiuda1 at 10:01|Permalink│
2005年11月19日
■第12回映画会盛況に終わる
11月18日、12回目となる後援会主催の映画会が八王子市民会館で行なわれました。作品は藤沢周平の原作を黒土三男監督、市川染五郎・木村佳乃が「人間としてなくしてはいけないもの」をテーマに純愛を守る『蝉しぐれ』です。
市議会時代、本町にあった東宝映画館で200名でスタートしたこの行事もお陰様で回を重ねるごとに充実し、今回は席が足らず立見でご迷惑をお掛けする事態となってしまいました。立ち見も出るほどの盛会でした。配給会社も継続の実績を評価していただき今回の「蝉時雨」のようなロードショー期間のフィルムを貸していただけるようにもなりました。
平成5年に「国会へ行こう!」という映画の製作に友人から頼まれ参画した事をきっかけにその映画をみんなで観ようという事で始まったのが映画会の起源です。調子に乗って自身も出演した作品は全国東宝洋画系90館で封切されたにもかかわらず、残念ながら八王子では公開されなかったのにショックを受け自主上映をしました。以来ロードショーも観られない八王子を何とかしなくてはと、翌年には南口の再開発ビルに7スクリーンの映画館の設置を決めたのですが、その後計画は何度も暗礁に乗り上げ今日まで実現できない状況です。一方、創業時の専務が台町在住の市民だったご縁で本町の当時の植竹市長の所有地に建てた東宝も最後まで八王子にこだわってくれましたが、次の展開が見えないまま撤退をしました。
南大沢のヴァージンシネマ(当時)がオープンした時は山本社長とのご縁でテープカットもしましたがあくまで定借の建物で恒久的なものではなく、経営も代わり、先行してシネコンのできた橋本や相模原の集客次第では規模の見直しや早期撤退の危惧も否定できません。(幸いにして南大沢は週末は元気なので大丈夫とは思いますが・・・)
いずれにしても「立川へ映画を観に行く」という会話が普通に交わされる53万都市八王子では情けない訳で、場所は再開発ビルではなく、JR貨物のビル予定地に変更したようですが一日も早い南口へのシネコンの開設に後押しをする所存です。
さて、地元の斉藤耕一監督が始めての時代劇映画、『八王子城落城物語 まつりの朝』を制作する事となり八王子を舞台に制作がスタートします。監督の映画人生の集大成とも言える大作ですので完成の頃までには映画で賑わう八王子を取り戻せるようがんばります。
市議会時代、本町にあった東宝映画館で200名でスタートしたこの行事もお陰様で回を重ねるごとに充実し、今回は席が足らず立見でご迷惑をお掛けする事態となってしまいました。立ち見も出るほどの盛会でした。配給会社も継続の実績を評価していただき今回の「蝉時雨」のようなロードショー期間のフィルムを貸していただけるようにもなりました。
平成5年に「国会へ行こう!」という映画の製作に友人から頼まれ参画した事をきっかけにその映画をみんなで観ようという事で始まったのが映画会の起源です。調子に乗って自身も出演した作品は全国東宝洋画系90館で封切されたにもかかわらず、残念ながら八王子では公開されなかったのにショックを受け自主上映をしました。以来ロードショーも観られない八王子を何とかしなくてはと、翌年には南口の再開発ビルに7スクリーンの映画館の設置を決めたのですが、その後計画は何度も暗礁に乗り上げ今日まで実現できない状況です。一方、創業時の専務が台町在住の市民だったご縁で本町の当時の植竹市長の所有地に建てた東宝も最後まで八王子にこだわってくれましたが、次の展開が見えないまま撤退をしました。
南大沢のヴァージンシネマ(当時)がオープンした時は山本社長とのご縁でテープカットもしましたがあくまで定借の建物で恒久的なものではなく、経営も代わり、先行してシネコンのできた橋本や相模原の集客次第では規模の見直しや早期撤退の危惧も否定できません。(幸いにして南大沢は週末は元気なので大丈夫とは思いますが・・・)
いずれにしても「立川へ映画を観に行く」という会話が普通に交わされる53万都市八王子では情けない訳で、場所は再開発ビルではなく、JR貨物のビル予定地に変更したようですが一日も早い南口へのシネコンの開設に後押しをする所存です。
さて、地元の斉藤耕一監督が始めての時代劇映画、『八王子城落城物語 まつりの朝』を制作する事となり八王子を舞台に制作がスタートします。監督の映画人生の集大成とも言える大作ですので完成の頃までには映画で賑わう八王子を取り戻せるようがんばります。
hagiuda1 at 14:16|Permalink│
2005年11月07日
■第3次小泉内閣がスタート
第3次小泉改造内閣がスタートした。いつも通り総理が一人で決めた人事との事で新人の入閣を除けばきわめて現実的な本格内閣と言えましょう。
私のもとへはマスコミから安倍先生の処遇の問い合わせがいくつもあり、親しい記者さんにも「ノーコメント」を笑って繰り返していたら、「外務省的ノーコメントか?」と突っ込まれ、「それ何?」と聞き返したら「当たっている時のコメントですよ。」と教えてもらいました。ちなみに午前中から官房長官就任を知っていた私はどうもしらをきるのが苦手で途中から電話に出ない作戦に切り替えました。当の長官からは「とにかく党を頼む!」と強く言われ、この2年、党内で安倍先生にくっついて働いていただけの私には、これからが政治家としてのがんばりどころかも知れません。仲間の三期生が揃って政務官になられた関係もあり、党務では忙しくなりそうです。
さて、残り1年を切った内閣の重要政策として政府系金融機関の統廃合と公務員制度改革があり、いずれも財政再建や構造改革と関連する大切な改革です。財投の受け皿や役人の天下りの受け皿になっていた金融機関も多く、改革は必要ですが一方、商工中金や中小企業金融公庫のような我が国経済の下支えをしてきた中小企業を支援する政府系金融機関の役割をどう継承させるのか?デリケートな問題もたくさんあります。特にここ永田町で言う企業は大手町にある上場企業の事で中小企業政策の希薄さは否めません。民間と同じ性格になれば当然担保第一主義になり、熟練の技術や街での信用、同業者の評価等の目利きが無くなり、危機を超えられない企業も出てくると危惧します。
「民にできることは民に」は大賛成ですが、官だからこそできたフレキシブルな企業育成の芽を摘んではならないと思います。何か良い案を作って機能を存続させる事も金融政策の一つだと思います。
私のもとへはマスコミから安倍先生の処遇の問い合わせがいくつもあり、親しい記者さんにも「ノーコメント」を笑って繰り返していたら、「外務省的ノーコメントか?」と突っ込まれ、「それ何?」と聞き返したら「当たっている時のコメントですよ。」と教えてもらいました。ちなみに午前中から官房長官就任を知っていた私はどうもしらをきるのが苦手で途中から電話に出ない作戦に切り替えました。当の長官からは「とにかく党を頼む!」と強く言われ、この2年、党内で安倍先生にくっついて働いていただけの私には、これからが政治家としてのがんばりどころかも知れません。仲間の三期生が揃って政務官になられた関係もあり、党務では忙しくなりそうです。
さて、残り1年を切った内閣の重要政策として政府系金融機関の統廃合と公務員制度改革があり、いずれも財政再建や構造改革と関連する大切な改革です。財投の受け皿や役人の天下りの受け皿になっていた金融機関も多く、改革は必要ですが一方、商工中金や中小企業金融公庫のような我が国経済の下支えをしてきた中小企業を支援する政府系金融機関の役割をどう継承させるのか?デリケートな問題もたくさんあります。特にここ永田町で言う企業は大手町にある上場企業の事で中小企業政策の希薄さは否めません。民間と同じ性格になれば当然担保第一主義になり、熟練の技術や街での信用、同業者の評価等の目利きが無くなり、危機を超えられない企業も出てくると危惧します。
「民にできることは民に」は大賛成ですが、官だからこそできたフレキシブルな企業育成の芽を摘んではならないと思います。何か良い案を作って機能を存続させる事も金融政策の一つだと思います。
hagiuda1 at 17:36|Permalink│