2006年02月
2006年02月28日
■青春を捧げた都連青年部
2期4年間にわたり務めてきた自民党東京都連青年部長を任期満了をもって退任し、同時に青年部を卒業となった。全国の青年局・青年部はその間の区別なく45才定年を規定しているが、都連は東京JCとの交流もあったせいか40才までを青年部50才までを青年局という変則的な運営を伝統的に行っている。
思い起こせば学生時代から始まり三多摩の幹事長、青年部長、都連の幹事長、副部長、部長と青年部一筋に党活動に従事してきた私にとっては一抹のさびしさを感じる定期大会だったがこの間国会に参画する機会までいただいた全都の役員の皆様には感謝の気持ちでいっぱいだ。この活動がなければ八王子から出る機会も少なかったろうし、政治家として小さくまとまってしまっていたかも知れない。銀座や渋谷で堂々とものおじせず演説ができるのも鍛え抜かれた結果だ。永い間ご指導いただいた歴代の先輩、私を支えてくれた中央執行委員の同志そして事務局の皆さんにもお礼を申し上げたい。
後任には都議会二期目を失敗してしまい浪人中の中屋ふみたか氏(文京)が就任した。苦しい時だろうが多いに研鑽を積んでバッジが無い分、一般の党員と同じ目線でより開かれた運営をしてくれるものと期待する。
唯一心配なのは昨今、せっかく若手の区市議員が増えたのに肩書ばかり求めて中々活動に参加しない事だ。仲間も増え、様々な経験を通じてまちがいなく議員としてのスケールも成長するはずなのだが、同時に仲間に刺激され上昇志向も強まり都議会や首長に挑戦する者も多い。その事を危惧して活動に参加させない支部がある事も否めず残念だ。
私は本日付で佐藤裕彦青年局長(都議:品川)のもと一兵に戻るが東京の将来を担う「虎の穴」として都連青年部が引き続きその役割がはたせるようOBとして見守っていきたい。
hagiuda1 at 11:16|Permalink│
2006年02月17日
■東京ルネッサンス21時局セミナー盛会に
第6回を迎えた東京ルネッサンス21時局セミナーが安倍晋三 官房長官を講師に迎え盛大に催す事ができました。
前日、予算委員会では民主党永田議員よりライブドアの堀江氏から武部幹事長へのヤミ献金疑惑が指摘され、一時は予算委員会の審議が長引き、「八王子へ来れるのだろうか?」と不安の一幕もありましたが、結局根拠を示す事もできないガセネタで審議も粛々と進み、時間通りの来王となりました。この手の薄っぺらいやりとりが国会の予算委員会で行われる事自体、何かやるせない思いを感じます。
さて、長官は就任以来地元山口へも一度しか帰れないばかりか官邸周辺からも中々離れる事ができず、幹事長代理時代、日本中はもちろん海外にも飛び回っていた生活とはガラリと変わった、ハードで窮屈な毎日を送っています。ちなみに官邸の内規では我八王子は都内ではなく地方都市出張扱いで万一の場合、一時間以内で戻れる様ヘリの緊急発進ができる準備を立川にしなくてはならない事となっています。そんな久々の地方出張?ですし、又、身内とも言える私の会でしたのでかなり踏み込んだ発言は翌日の朝刊をかざりました。
「マスコミどうしますか?」と本会議場で尋ねると「オンでいいよ」とめずらしい返答にこちらが戸惑い、「最後までですか?」と聞き直すと「やっぱりつまんなくなっちゃうから途中までにしようか」と余裕。結局、頭10分でカメラは出ていただく事としましたが、それでも記者さん達も最後までお付合いをしてくれました。
私は近況報告の中で教育基本法の改正、横田基地の軍民共用化、昭和の日にちなんだ八王子の街づくりをお話しさせていただきました。特に「昭和の日」の記念事業として取り組む高尾〜武蔵稜の新しい遊歩道整備等は八王子へ新たな観光客を誘致する施策として市長も英断を持って取り組んでいただける事となり、担当大臣である長官も全面的な支援を約束してくれました。
講演終了後には八王子の観光大使もお務めの北島三郎さんご夫妻もかけつけていただき、束の間のトークショーとなり、大いに盛り上がった会となりました。まじめな安倍長官も精一杯のユーモアで会場を沸かせてくれましたが、それでも以前より言葉は慎重ですっかり内閣の先頭に立つ風格を感じさせるオーラを発していました。
親しい記者さん達に「やっぱり萩生田さんの処は来るんだ」という何気ない一言に「安倍長官は本当に来るんですか?」という問合せが事務所にたくさん来ていたことを思い出しました。ついつい親しさから当たり前の事も連絡をする二人ですが、外から見れば大変なことで、激務の中、八王子まで来ていただいた厚情に改めて感謝しつつ、来週からの審議に共にがんばります。
前日、予算委員会では民主党永田議員よりライブドアの堀江氏から武部幹事長へのヤミ献金疑惑が指摘され、一時は予算委員会の審議が長引き、「八王子へ来れるのだろうか?」と不安の一幕もありましたが、結局根拠を示す事もできないガセネタで審議も粛々と進み、時間通りの来王となりました。この手の薄っぺらいやりとりが国会の予算委員会で行われる事自体、何かやるせない思いを感じます。さて、長官は就任以来地元山口へも一度しか帰れないばかりか官邸周辺からも中々離れる事ができず、幹事長代理時代、日本中はもちろん海外にも飛び回っていた生活とはガラリと変わった、ハードで窮屈な毎日を送っています。ちなみに官邸の内規では我八王子は都内ではなく地方都市出張扱いで万一の場合、一時間以内で戻れる様ヘリの緊急発進ができる準備を立川にしなくてはならない事となっています。そんな久々の地方出張?ですし、又、身内とも言える私の会でしたのでかなり踏み込んだ発言は翌日の朝刊をかざりました。
「マスコミどうしますか?」と本会議場で尋ねると「オンでいいよ」とめずらしい返答にこちらが戸惑い、「最後までですか?」と聞き直すと「やっぱりつまんなくなっちゃうから途中までにしようか」と余裕。結局、頭10分でカメラは出ていただく事としましたが、それでも記者さん達も最後までお付合いをしてくれました。
私は近況報告の中で教育基本法の改正、横田基地の軍民共用化、昭和の日にちなんだ八王子の街づくりをお話しさせていただきました。特に「昭和の日」の記念事業として取り組む高尾〜武蔵稜の新しい遊歩道整備等は八王子へ新たな観光客を誘致する施策として市長も英断を持って取り組んでいただける事となり、担当大臣である長官も全面的な支援を約束してくれました。
講演終了後には八王子の観光大使もお務めの北島三郎さんご夫妻もかけつけていただき、束の間のトークショーとなり、大いに盛り上がった会となりました。まじめな安倍長官も精一杯のユーモアで会場を沸かせてくれましたが、それでも以前より言葉は慎重ですっかり内閣の先頭に立つ風格を感じさせるオーラを発していました。親しい記者さん達に「やっぱり萩生田さんの処は来るんだ」という何気ない一言に「安倍長官は本当に来るんですか?」という問合せが事務所にたくさん来ていたことを思い出しました。ついつい親しさから当たり前の事も連絡をする二人ですが、外から見れば大変なことで、激務の中、八王子まで来ていただいた厚情に改めて感謝しつつ、来週からの審議に共にがんばります。
hagiuda1 at 17:34|Permalink│
2006年02月11日
■首都機能移転にピリオドを
今週は党の行政改革推進本部の総会、公務員制度改革委員会、また議院運営委員会の国会事務局改革小委員会と行革漬けの会議が続いた。
「小さくて効率的な政府」を実現し、財政の健全化を図り、行政の信頼性を高める事は政治の喫緊かつ最重要課題である事は言うまでもない。一方で「官から民」を進めた高速道路会社では結局、直轄方式も導入し道路はつくる事となった。道路の重要性、必要性は地域によって異なるので交通量等の客観的な数値はあったとしても、外からの判断は難しく、それぞれの代表たる議員の言葉一つ一つに説得力がある。要は行政にとって必要な仕事を非公務員化したり、民間に任せる事だけが改革ではなく、コストと効率をバランスよく追求していく事を役人が身に付ければ解決する問題もたくさんある。 耐震構造偽造事件にみるように利益第一主義、拝金主義に走った結果を見れば、地味だけれど役人がしっかりと取り組んで欲しいジャンルも多いと思う。公務員改革は公務員意識改革を伴わなければ真の改革にならず課題は多い。
さて、行革本部は「隗より始めよ」で総務省の定員管理の対象外とされ聖域化されてきた衆参事務局へもメスを入れた。衆参の事務局、法制局の一元化や国会図書館の独立行政法人化で職員減の検討を始める。また警備、速記、運転、施設・設備管理等、民間委託の検討もする。当たり前の事かもしれないが中々できなかった改革である。議員宿舎の送迎のマイクロバスに誰も乗っていない事を週刊誌で非難され廃止の議論が進んでいる。
私は国会の正しい権威や品格が保たれる改革なら賛成だ。閣議では「行革推進法」の今国会提出が決定されたが、「総理官邸の建て替えが終わり、PFIによる議員会館の改築が始まり又、各省、各合同庁舎の建設が槌音高く進む中、一方であいかわらず国会移転も議論がされ国や地方で様々な予算が使われている現状を国民はどう思うだろうか?」と勇気を持って発言した。昨年、国土交通部会では大ブーイングにあったが、さすが行革本部では皆が静かにうなずいてくれた。誰もが本気にしない「首都機能移転」を白紙に戻すことが行革の第一歩であり、最大の無駄遣いの解消だ。
東京出身の私が言うと素直に聞いていただけないかも知れないが、それを棚上げしてマイクロバスを廃止にしても国民の理解は得られないと思う。
「小さくて効率的な政府」を実現し、財政の健全化を図り、行政の信頼性を高める事は政治の喫緊かつ最重要課題である事は言うまでもない。一方で「官から民」を進めた高速道路会社では結局、直轄方式も導入し道路はつくる事となった。道路の重要性、必要性は地域によって異なるので交通量等の客観的な数値はあったとしても、外からの判断は難しく、それぞれの代表たる議員の言葉一つ一つに説得力がある。要は行政にとって必要な仕事を非公務員化したり、民間に任せる事だけが改革ではなく、コストと効率をバランスよく追求していく事を役人が身に付ければ解決する問題もたくさんある。 耐震構造偽造事件にみるように利益第一主義、拝金主義に走った結果を見れば、地味だけれど役人がしっかりと取り組んで欲しいジャンルも多いと思う。公務員改革は公務員意識改革を伴わなければ真の改革にならず課題は多い。
さて、行革本部は「隗より始めよ」で総務省の定員管理の対象外とされ聖域化されてきた衆参事務局へもメスを入れた。衆参の事務局、法制局の一元化や国会図書館の独立行政法人化で職員減の検討を始める。また警備、速記、運転、施設・設備管理等、民間委託の検討もする。当たり前の事かもしれないが中々できなかった改革である。議員宿舎の送迎のマイクロバスに誰も乗っていない事を週刊誌で非難され廃止の議論が進んでいる。
私は国会の正しい権威や品格が保たれる改革なら賛成だ。閣議では「行革推進法」の今国会提出が決定されたが、「総理官邸の建て替えが終わり、PFIによる議員会館の改築が始まり又、各省、各合同庁舎の建設が槌音高く進む中、一方であいかわらず国会移転も議論がされ国や地方で様々な予算が使われている現状を国民はどう思うだろうか?」と勇気を持って発言した。昨年、国土交通部会では大ブーイングにあったが、さすが行革本部では皆が静かにうなずいてくれた。誰もが本気にしない「首都機能移転」を白紙に戻すことが行革の第一歩であり、最大の無駄遣いの解消だ。
東京出身の私が言うと素直に聞いていただけないかも知れないが、それを棚上げしてマイクロバスを廃止にしても国民の理解は得られないと思う。
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2006年02月03日
■伝統の力
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
※今週は自民党のメールマガジン(Nパケ・永コラ)にマルチメディア局次長
として執筆した原稿の原文をおうちゃくして転用します。
もしや自分の文章でも無断転載で怒られるのかも・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
春の高校野球センバツ大会に母校、早実が18年ぶりの出場を決めた。
新宿のキャンパスを国分寺へ移してからは春・夏を通じて初めての事。長い間専用グラウンドを持てず、ジプシーのように転々とし低迷が続く中、八王子市内にある都有地を取得する事となり、都議会議員だった私は校長達と市長を訪ね、開発の了解を求めた。本来は業務用地として売却する予定の場所が非課税の学校のグランドになれば市にとっては財政上、負の施設だからだ。「腰掛ではなく八王子の市民のつもりで・・・」という校長と、「近年中、必ず甲子園に出て市のイメージアップに貢献する。」と空手形を切った。
同校は2001年、創立100周年を機に手狭だった早稲田鶴巻町を離れ、男子校を男女共学に変更し、本来の商業科を廃止して、小学部を加える大改革を行なった。少子化の中、学校経営を考えればここまでは理解できる中身だが、学校側は更に校名変更を提案した。元々は早大とはまったく別の法人だったのが、年月と共に系列化をし、近年では大学の役員が全てを兼務することとなり、一付属校としての色が濃くなってきた背景もあった。
「場所が変わり、共学になり、実業学校としての商業科も無くなり、名前や校歌や制服も変われば、もはや別の学校だ。」そんなアイデンティティに危機感を持った同窓生が押し寄せた校友会総会は紛糾し長時間に渡った。先輩方からは一切の寄附を協力できない等、様々な対抗策が出されたが当時、市議会議員として多少、この手の荒れた会議にこなれていた私は誰に相談するでもなく「動議」を連発し、最後は「校名変更には法人役員、在校生、卒業生を含め幅広く意見を聞き、慎重に対応する事」を総会の決議として採択させた。「反対」ではなく「慎重」を求めた事で学校側の面目も保った。会議終了後、面識のない大先輩達に囲まれ握手攻めにあい、夜まで飲み明かしたのを照れ臭く思い出す。もちろんこの事だけが原因ではないがその後校名変更は撤回され収束した。
もし校名が変わっていたら新聞は「初出場」となっていたかも?そんなことを考えながら紙面の「早実」という活字に一人満足した。
いつの世も改革は必要だ。一方で校風や国柄など守っていかなくてはならないものもある。歴史や伝統を継承しながら行なう改革は進化に繋がるが、誤れば大切なものを失い、取り返しのつかない事もあるだろう。日本の将来をも左右する立場の一員である事に改めて責任を感じ、その是非を見極める感性を磨く党内議論にこれからも汗する覚悟だ。
「守る」を選んだ私の選択を全国の皆さんが評価してくれるよう、後輩諸君の甲子園での健闘を祈る。
尚、自民党メルマガの申込はこちらから
※今週は自民党のメールマガジン(Nパケ・永コラ)にマルチメディア局次長
として執筆した原稿の原文をおうちゃくして転用します。
もしや自分の文章でも無断転載で怒られるのかも・・・

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春の高校野球センバツ大会に母校、早実が18年ぶりの出場を決めた。
新宿のキャンパスを国分寺へ移してからは春・夏を通じて初めての事。長い間専用グラウンドを持てず、ジプシーのように転々とし低迷が続く中、八王子市内にある都有地を取得する事となり、都議会議員だった私は校長達と市長を訪ね、開発の了解を求めた。本来は業務用地として売却する予定の場所が非課税の学校のグランドになれば市にとっては財政上、負の施設だからだ。「腰掛ではなく八王子の市民のつもりで・・・」という校長と、「近年中、必ず甲子園に出て市のイメージアップに貢献する。」と空手形を切った。
同校は2001年、創立100周年を機に手狭だった早稲田鶴巻町を離れ、男子校を男女共学に変更し、本来の商業科を廃止して、小学部を加える大改革を行なった。少子化の中、学校経営を考えればここまでは理解できる中身だが、学校側は更に校名変更を提案した。元々は早大とはまったく別の法人だったのが、年月と共に系列化をし、近年では大学の役員が全てを兼務することとなり、一付属校としての色が濃くなってきた背景もあった。
「場所が変わり、共学になり、実業学校としての商業科も無くなり、名前や校歌や制服も変われば、もはや別の学校だ。」そんなアイデンティティに危機感を持った同窓生が押し寄せた校友会総会は紛糾し長時間に渡った。先輩方からは一切の寄附を協力できない等、様々な対抗策が出されたが当時、市議会議員として多少、この手の荒れた会議にこなれていた私は誰に相談するでもなく「動議」を連発し、最後は「校名変更には法人役員、在校生、卒業生を含め幅広く意見を聞き、慎重に対応する事」を総会の決議として採択させた。「反対」ではなく「慎重」を求めた事で学校側の面目も保った。会議終了後、面識のない大先輩達に囲まれ握手攻めにあい、夜まで飲み明かしたのを照れ臭く思い出す。もちろんこの事だけが原因ではないがその後校名変更は撤回され収束した。
もし校名が変わっていたら新聞は「初出場」となっていたかも?そんなことを考えながら紙面の「早実」という活字に一人満足した。
いつの世も改革は必要だ。一方で校風や国柄など守っていかなくてはならないものもある。歴史や伝統を継承しながら行なう改革は進化に繋がるが、誤れば大切なものを失い、取り返しのつかない事もあるだろう。日本の将来をも左右する立場の一員である事に改めて責任を感じ、その是非を見極める感性を磨く党内議論にこれからも汗する覚悟だ。
「守る」を選んだ私の選択を全国の皆さんが評価してくれるよう、後輩諸君の甲子園での健闘を祈る。
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