2006年09月

2006年09月30日

■第41代自民党青年局長

 安倍内閣初の国会となる第165国会が召集された。マスコミ評価では「論功行賞」、「仲良し内閣」といった厳しい批判もあるが、小泉内閣のチルドレン人事を考えれば、地味だが安定感のある組閣だと思う。特に官邸機能の強化という点では新しい試みであり、副長官の民間からの採用や、5名の補佐官等、安倍総理の強い意志の表れを感じる。
 就任の記者会見ではノー原稿で堂々たる姿勢だったが、口癖?の「しっかりと」と「思います」を連発し、気になった。案の定翌日の新聞で「しっかりと」朝日などに揚げ足を取られた。原稿をしっかり読むより人間らしさがあって私はいいと思う。
 さて、同期の仲間も政務官に入りはじめたので地元では残念がる声もあったが、元々私は総理から「党をたのむよ」と言われており、本日青年局長の辞令をいただいた。新聞報道等での扱いは大きくないが、党内では極めて重要な役職で、故竹下登先生や海部俊樹先生をはじめ麻生外相、中川政調会長も歴任した「若手の登竜門」とされているもので、私で第41代にあたる。もちろん、安倍総理も第31代、当選2期目に経験しており、縁を感じる。
 全国3000を超える支部組織の青年部長、青年局長はじめ45歳以下の国会議員、都道府県議、市町村議を含めて25万党員の代表として党の役員連絡会、党運営の最高決定機関である総務会に安倍総裁、中川幹事長と共に常に出席する事となる。
 就任早々、大阪、神奈川補欠選挙の陣頭指揮はじめ、来月はジュネーブでの国際会議への出席を命じられ帰国後は長崎、鳥取、北海道、高知と全国行脚が続くようだ。
 この週末には残りの9名の役員人事を誰にも相談せず・・・と言いたいが、党の部会人事と調整をしながら決めなくてはならず頭が痛い。
 ちなみに地方議員の出身国会議員が局長に就任するのは久しぶりという事もあって、各県連の局長から多くの激励と祝意をいただいた。八王子の青年部長、三多摩青年部長、都連青年部長に党本部青年部長、青年局長とグランドスラムで経験した事になる。党生え抜きの政治家として今まで以上の活動が全国の仲間とできるようとがんばってみたい。
 地元の皆様には役職柄、全国を駆け巡らなくてはならず留守にする事も多くなると思うが、是非理解をいただき支えてほしい。
 
参考HP:自民党青年局


hagiuda1 at 12:18|Permalink

2006年09月22日

■安倍晋三新総裁誕生!

 総裁選安倍新総裁
総裁選三候補と小泉総理握手




 
 
 第21代自民党総裁に安倍晋三官房長官を選出した
戦後生まれとしては初、立党以来最年少51歳の総裁だ。ちなみに翌21日が誕生日で来週の本会議では52歳の総理となる予定。東京は12票中、安倍8票、麻生3票、谷垣1票という結果だった。
 消化試合などと揶揄された総裁選だったが、7月の東京ブロック大会を皮切りに全国各地で論戦を展開し、その中から又、新たな課題が浮き彫りになったりとそれなりの成果はあったと思う。又、条件は不利な中、果敢に挑む、麻生、谷垣、両先生の姿勢も、歴代の先輩方が歩んできた総裁選の歴史もマスコミがうがった報道をするほどひねたものではなく、それぞれが真剣に政策提言をする我党の良き伝統だと感じた。
 早くも永田町は人事の話で一色。マスコミ、議員入り乱れて競馬の予想みたいな雑談があちこちで行なわれている。すでに60名程に絞った候補の横顔取材を新聞各社が行なっていて、何と私のところにも2社が取材に来た。「絶対無駄になるから早く次に行ったほうがいいよ」と促したが、一応形式的に答えた(笑)
 納会で総裁になられたご本人にお祝いを申し上げたが、ずいぶん丁寧にお礼を言われ、今までとはお互い違う立場になった事を再認識した。
 幸いにもこの3年間、安倍さんの近くで仕事ができた事を誇りに思う。これからは今までのように食事に行ったり、歌をうたう事もなくなるだろうが、裏方でしっかりと支える事ができるように役目を果たしていきたい。
 まずは臨時国会、そして補欠選挙、安倍イズムをしっかり継いだ一人として、今まで練り上げてきた教育改革を堂々と前に進める事ができるよう努力を誓う。


hagiuda1 at 15:39|Permalink

2006年09月15日

■青年局主催 公開討論会

青年局主催公開討論会2総裁選関連の会合が続く。はっきり言って支持が決まった者同士が集まり、確認をしあうのは意味がないと感じるが、切り崩しのあった激しい総裁選時代の名残なんだろう。
 それより中々意見を言う機会の少ない全国の青年党員の為の討論会を前回(3年前)に続いて青年局主催で開催した。今年からは学生部の代表も加え、又、場所柄、都連の政経塾に参加している受講生も特別に参加の機会をつくった。党組織が主催する期間中唯一の場だ。各県連代表は私の古巣、地方議員の方々も多く、9月議会の始まっている人もやりくりして前泊して集まった。夏の海外研修と併せて、これらは私が地方代表(都連青年部長)だった頃からの試みで少なからず実現に貢献した事を地方の仲間からは評価され、その縁で前泊の皆さんからは食事の誘いが数多くあり光栄だ。常に決定事項ばかり押し付けられ、それでも全国で組織の下支えをしていただいている同志は我党の誇りだと思う。そんな仲間内から国政に参画させていただいた数少ない一人としてこの仲間を守り、連携をしていくのは私の責務だと感じている。

青年局主催総裁選公開討論会“俺達、地方代表だって忙しい中全国から集まっているのにお前ら国会議員は出たり入ったり何様のつもりだ。座ってられないなら顔見せで会議に出るな!”と自分の意思では自由にならない若手の国会議員の忙しさを知らずに一喝したのは数年前、都議としては伝説になり地方のヒーローだが、党内では肩身が狭く、今ではトイレにも行けない(笑)
いずれにしても地方代表の皆さんが直接総裁候補と政策議論できる場で皆さんは張り切って臨んだ。

 残念な事にある陣営からは「身内の会議に一時間の拘束は勿体ない。時間を短くしてくれ」と谷本局長に要請があったと聞いて激怒した。外向きのパフォーマンスは好むが、組織内の人ときちんと話をする事を面倒がる傾向が党内の一部にある。もちろん候補者本人の意思ではない事は理解の上だが、久しぶりに会議では「全国の青年局との一時間が勿体ないという人は来なくていい」と打ち返した。
相変わらず空席の目立つ国会議員席を眺め、どんなに忙しくともこういう会議の重要度が感じられない若手が間違っても若手の代表のような扱いをされないよう次の内閣への申し送りに加える事とした。

 安倍候補は「世襲ばかりでなくどなたでも自民党で政治家になれる」党改革を進める事を力説していた。本当の挑戦はこれからだ。

hagiuda1 at 16:46|Permalink

2006年09月09日

■自民党総裁選告示

 いよいよ自民党総裁選挙が告示となり、安倍晋三官房長官、麻生太郎外相、谷垣禎一財務相の三名が立候補の手続きをした。

総裁選(秋葉原) 出陣式には党所属国会議員の過半数以上が出席し、一般党員にも人気の高い安倍氏の優位は動かないだろう。中には政治信条や政策の合致しない方々も多数いるが、これも政治の現実として受け止めよう。ちなみに安倍長官の決意表明は実にみごとだった。

 私は推薦人にも選対にも名前の出る事はない裏方として後方支援に徹している。過日、派の1〜2回生の集まりがあった時にも「我々身内は裏方に徹し、緊急漏水班として穴のあいたところを補おう」と呼びかけたが、本当に支援議員のいない穴のあいた選挙区の党員名簿が廻ってきて不慣れな長い市外局番を押しながら事務所の皆さんも後援会の皆さんも電話かけに大あわての毎日だ。

 ありがたい事に都議会自民党の皆さんは別途事務所を設けて私達のバックアップ体制を組んでいただいた。昨年の都議選に全都を応援に廻ってくれた安倍長官へのお礼もこめ、私を窓口に進めていただいている。今日は早速、新宿の事務所に町村先生、尾身先生が一緒に陣中見舞いに行っていただいた。お二人とも「いつの間にこんな対応を」と、驚いていたが、皆さんも「これ見よがし」ではなく本当に心を込めて対応していただいている事に感謝だ。

 そんな見返りを求めない都議会の皆さんだが、一応の要望だけは提出しておこうということで、昨日長官と会って川島議長や宮崎幹事長と共に要望書を手渡した。一つは税の偏在性を解消するため法人2税の見直しに他候補が言及し安倍長官も同調したかにとれる発言に対して、「首都東京の特殊事情をよく理解してほしい」と申し入れ、もう一つは「オリンピック招致に向けての内閣の取組みの強化」を要請した。長官は昭和39年の東京オリンピックの招致決定をしたのが岸内閣である事を皆さんにも話し決意を示された。名古屋、大阪と失敗した原因の一つに閣議了解の遅れが指摘されており、この轍は踏まないようにしたいものだ。東京の為ではなく国家の主軸としての東京の果たす役割を示すオリンピック招致に向け安倍内閣には重要課題にすえてもらいたいと願う。

 裏方の私も明日の第一声だけは出番があり、陣営を代表して安倍候補の応援に秋葉原に立つ。「なぜ萩生田か」と言われないよう、息の合った応援をしたい。


hagiuda1 at 10:32|Permalink

2006年09月02日

■東京オリンピック 国内候補地に!


 2016年夏季オリンピックの国内開催地が東京都に決定した。JOCの役員と各競技団体代表の55名の投票の結果、東京33対福岡22という辛勝だった。
 当初は「東京圧勝で勝負は世界」という空気であったが、福岡はユニバーシアードや世界水泳等、国際大会の開催実績に加えて各競技団体とのパイプを活かし、又、九州選出の国会議員を中心に経済等の「東京一人勝ち」論が支配的となり東京バッシングが広がって、苦戦を強いられた。私達も招致推進議連をつくり、私は事務局長に就任し一気に多数派工作をと目論んだが、急遽作戦を変更して静かに支持を広げる「ステルス作戦」を採った。しかしこれもまた「東京の国会議員はやる気がない」と間違ったメッセージを送る事となり終盤では再び関係団体にお願いに廻るというチグハグな対応となってしまった。

 すでに新聞報道などで明らかになってしまったが、私はこの五輪東京開催には深く関わっており、都庁と関係団体との調整役として、又都議会との連絡役としての任務を務めた。横山副知事とは多摩移管100周年「多摩らいふ」以来のお付き合いであり、様々な障害を取り除く努力をした自負がある。
 本当は2013年に行われる多摩国体の延長に位置づけ、三多摩の施設整備や街づくりにも繋げたいと考えていたが、手続きが進む中、IOCで勝ち切るためにはできるだけ新たな施設建設等の設備投資は避ける事、選手の移動や観客の移動が便利でコンパクトな開催が必要な事等、条件を詰めるうちに多摩にこだわっていたのではと小異を捨て、大同につく決断をした。メインは23区中心となるが、予選のあるサッカーや野球(現在は競技種目から外れているが)等は多摩での分散開催が可能と思うし、事前の国内キャンプでは充分受け皿になり、三多摩の子供達が一流アスリートを目前にする事もできると期待する。
 いずれにしても1964年の東京オリンピックとは異なるコンセプトで成熟した国際都市東京を世界に示す良い機会だと信じる。
羽田の再拡張国際化や横田基地の軍民共用化、環状道路の整備等もこの機会に整理をし、首都機能を高める事は国際競争力を強化する上でも有効だ。

 唯一、選考会場に呼ばれた私は勝利に沸く東京の控室で石原都知事とがっちりと握手をし、国会議員を代表してあいさつに立った。
「今までは国内都市の競争だったがこれからは世界での勝負。党派を超えしっかりとがんばる」と誓った。終了後、都議会の先輩方からは今までの連絡役としての慰労をいただき、宴席を共にした。
 翌日の部会では早速、「招致に向けてはこの3年が勝負だ。大阪、名古屋の失敗を繰り返すわけにはいかず、文科省内、あるいは官邸に担当を置くべきだ」と提案した。次の内閣には担当相の設置も求めていきたい。


hagiuda1 at 10:59|Permalink