2006年12月
2006年12月29日
■礒間利男後援会長 逝去
先月行われた「励ます会」の席で早くから会場で準備をされていた会長が「もう大丈夫そうだな。俺、腰が痛くて立ってられないから途中で帰るよ」と小声でささやいた。胃潰瘍で入院の折、圧迫骨折で腰骨の一部が損傷していたと判ったとの事だったが、結局は肺癌が骨髄まで転移しての痛みだった。
12月3日の早朝、「主人が痛がって起き上がれない」という電話があり、医療センターへ緊急診察のお願いをしたが、担当医が不在もあり、翌月曜の一番で診てもらう事で一度は落ちついた。息子さんから「無事入院できました。MRIの結果肺に腫瘍のかげがあり、背骨にも異変があるので体力の回復を待ってカテーテルの検査をする事になりました」との事。「ただ、癌だとすると進行性のもので手おくれと言われました」との報告に一瞬耳をうたぐった。
「まずは検査が済むまで後向きの話はやめようぜ」自分にも言いきかせながら息子さんとの電話を切った。税制と予算の正念場、来週までは帰れないと思いながらも自分としてはこんな状況とは思っていなかったので家内に見舞いに行ってもらったが、「うちのお母さんの最期と同じ状況よ。なるべく早く行ってあげて」との報告に「何で?」とくり返した。
礒間会長との出合いは私が学生時代、黒須事務所を手伝っている頃だった。もっともお兄さんの長女で会長の姪にあたる真由美ちゃんは高校時代からの友人で、お隣の礒間家にあがりこんではグループで大騒ぎをした事もあり、そんな縁で会長も私を弟のようにかわいがってくれた。当時は携帯電話のない時代だったが会合が終わると大概行きつけの2〜3軒をのぞけば親友の福山さん、新谷さんあたりと政治談議に花を咲かせており、そこへ行けば飯が喰えるとふんで、甘えさせていただいた。「何でここがわかったんだ?腹減ってんだろ?一緒に座れ」と型通りの誘いを受け毎回仲間に加えていただいた。JCの後輩達にてきぱきと指示をとばし、いつもダンディな会長が、カラオケでは聞いた事もないマニアックな演歌をおやじくさく歌うのも学生の私にはカッコ良く見えた。
秘書時代、月末のランチはクラウンでの無銭飲食で助けてもらった。
そんな兄貴として常に心配をいただきいよいよ市議選挑戦時には後援会長としてお世話になる事となった。候補者27才、後援会長44才という、今ならトレンドだが当時としては型やぶりの非常識な布陣だったかも知れない。
おこられたり、はげまされたり、常に前向きに皆さんをもりたて後援会を引っぱり3度の市議選を勝ち抜いた。都議選には全市的な支援が必要と田中貞男さんを連合後援会長に立てご自身は一歩さがり衆議院選では更に多くの皆さんに参加を促し会長は身内の立場で裏方に徹していただいた。「菊づくり、菊見る時はただの人」だ。よっぱらって吉川英治の歌を引用して一度そんな心境を言われた事がある。「会長、“ただ”じゃなくて“陰”じゃない?」と大笑いをした。政治家萩生田光一の生みの親、育ての親として気を使わせてしまう近頃だった。
「政治家は出処進退が大切だ」会長が唯一、私に重々言われた言葉だ。これからの政治生活、色んな場面に遭遇するだろうが会長の言葉を大切に堂々とがんばりたい。
「どんなに店が忙しくても萩生田さんの事だけは一生懸命でしたよ」奥様の言葉通りだと思う。この16年間、会社にもご家族にもさぞご迷惑をおかけした事とおわびを申し上げたい。60才はあまりにも若く、ご本人も無念だったと思う。母に続き大きな柱を失った無力感は私も経験した事のない気持ちだ。初めて政治の道に入る時に二人でかわした約束、夢は道半ばだ。会長の分まで精一杯がんばり、いつの日かあの世でほめてもらうのを楽しみに今後の努力を誓う。
礒間会長、ありがとうございました。
12月3日の早朝、「主人が痛がって起き上がれない」という電話があり、医療センターへ緊急診察のお願いをしたが、担当医が不在もあり、翌月曜の一番で診てもらう事で一度は落ちついた。息子さんから「無事入院できました。MRIの結果肺に腫瘍のかげがあり、背骨にも異変があるので体力の回復を待ってカテーテルの検査をする事になりました」との事。「ただ、癌だとすると進行性のもので手おくれと言われました」との報告に一瞬耳をうたぐった。
「まずは検査が済むまで後向きの話はやめようぜ」自分にも言いきかせながら息子さんとの電話を切った。税制と予算の正念場、来週までは帰れないと思いながらも自分としてはこんな状況とは思っていなかったので家内に見舞いに行ってもらったが、「うちのお母さんの最期と同じ状況よ。なるべく早く行ってあげて」との報告に「何で?」とくり返した。
礒間会長との出合いは私が学生時代、黒須事務所を手伝っている頃だった。もっともお兄さんの長女で会長の姪にあたる真由美ちゃんは高校時代からの友人で、お隣の礒間家にあがりこんではグループで大騒ぎをした事もあり、そんな縁で会長も私を弟のようにかわいがってくれた。当時は携帯電話のない時代だったが会合が終わると大概行きつけの2〜3軒をのぞけば親友の福山さん、新谷さんあたりと政治談議に花を咲かせており、そこへ行けば飯が喰えるとふんで、甘えさせていただいた。「何でここがわかったんだ?腹減ってんだろ?一緒に座れ」と型通りの誘いを受け毎回仲間に加えていただいた。JCの後輩達にてきぱきと指示をとばし、いつもダンディな会長が、カラオケでは聞いた事もないマニアックな演歌をおやじくさく歌うのも学生の私にはカッコ良く見えた。秘書時代、月末のランチはクラウンでの無銭飲食で助けてもらった。
そんな兄貴として常に心配をいただきいよいよ市議選挑戦時には後援会長としてお世話になる事となった。候補者27才、後援会長44才という、今ならトレンドだが当時としては型やぶりの非常識な布陣だったかも知れない。おこられたり、はげまされたり、常に前向きに皆さんをもりたて後援会を引っぱり3度の市議選を勝ち抜いた。都議選には全市的な支援が必要と田中貞男さんを連合後援会長に立てご自身は一歩さがり衆議院選では更に多くの皆さんに参加を促し会長は身内の立場で裏方に徹していただいた。「菊づくり、菊見る時はただの人」だ。よっぱらって吉川英治の歌を引用して一度そんな心境を言われた事がある。「会長、“ただ”じゃなくて“陰”じゃない?」と大笑いをした。政治家萩生田光一の生みの親、育ての親として気を使わせてしまう近頃だった。
「政治家は出処進退が大切だ」会長が唯一、私に重々言われた言葉だ。これからの政治生活、色んな場面に遭遇するだろうが会長の言葉を大切に堂々とがんばりたい。
「どんなに店が忙しくても萩生田さんの事だけは一生懸命でしたよ」奥様の言葉通りだと思う。この16年間、会社にもご家族にもさぞご迷惑をおかけした事とおわびを申し上げたい。60才はあまりにも若く、ご本人も無念だったと思う。母に続き大きな柱を失った無力感は私も経験した事のない気持ちだ。初めて政治の道に入る時に二人でかわした約束、夢は道半ばだ。会長の分まで精一杯がんばり、いつの日かあの世でほめてもらうのを楽しみに今後の努力を誓う。礒間会長、ありがとうございました。
hagiuda1 at 15:42|Permalink│
2006年12月23日
■科学技術専任部会長 まずまずの出来?
平成19年度予算に向けてのぎりぎりの折衝が続いた。私は文部科学専任部会長として所管の予算獲得に向け駆け廻った。科学技術振興費は他の予算と異なり、唯一増額が期待される分野で、科学技術創造立国を目指す上でも環境を整え、研究を進めていかなくてはならず、後戻りも停滞も許されない。万一マイナス査定にでもなれば、部会長の力不足、しいては人選ミスと言われ、信用はがた落ちになる。それぞれの項目の重要性を説得力を持って主張しなければ、と各課の担当による家庭教師のようなレクが続いた。聞けば聞くほど我国の科学技術の底力はすばらしいものがあるが、あまりに専門性が高すぎて国民へのPRが下手なのに気付いた。例えば今週打上げに成功したH-2Aロケット11号機は技術試験衛星「きく8号」を搭載しているのだが、この「きく8号」のアンテナがうまく開けば軌道に4つの衛星を持つことになり、携帯電話の不通地域をすべてカバーする事が可能となる。地上での景観を損うアンテナ塔を数千建てるより大きな効果がある事を国民にアピールすべきと提案した。
そんな国民の普通の視点で一つ一つ説明してみると、党政調幹部も財務省も良く理解してくれ、ほとんどを認めていただいた。又、理科嫌いの子供達をなくす施策として民間企業OB等を小学校へ派遣する新制度の提案が認められ、20億の予算措置ができた。是非八王子市でも活用してもらうよう市教委への説明を始めた。最終段階で当初予算案から外れたターゲットタンパク研究費の復活折衝では55億の復活を認めていただき、ほぼ100点の出来と評価をいただく事ができた。
一方で、科研費の不正使用があいついで発覚し、大学や教授陣のモラルが問われる。自分一人がすぐれた研究をしているというのぼせを一掃しないとこの手の問題はまだまだ出てきそうで心配だ。研究をしてやってるのではなく、国民の代表としてさせていただいているという基本を徹底するよう大学協会へも苦言を申し上げた。技術研究は一流に近づいているが、やっぱり道徳教育の重要性を感じた。
しかし、これをこれから毎年やるかと思うと少々荷が重い年の瀬だった。
hagiuda1 at 11:29|Permalink│
2006年12月16日
■国会は会期延長
最終日になって野党4党提出の内閣不信任決議案が提出され、国会は大混乱となった。参議院での教育基本法案採決引き延ばしと、連日国会前に座り込みを続ける民主党等の支援団体向けのパフォーマンスでしかなく、なさけない限りだ。その証拠に議論が尽くされていないと言いながら「会期の延長は税金の無駄遣いで反対だ」と言うのだから話にならない。
最終日には不信任を出せば各委員会の休会中の継続審査の手続き等ができず、会期延長が伴うのは当然だ。結局4日間の延長を決めるのに記名投票になり数時間を費やし、更に菅氏の長々と続く不信任の牛歩提案演説を延々と聞かされ一日が経った。昼食時、食堂で会った民主党の若手の皆さんも「俺達もいやなんだけど・・・」と漏らしていた。
安倍内閣がスタートしてわずか2ヶ月余。もちろん批判はあるだろうが、まだ始まったばかりだ。野党の伝家の宝刀である内閣不信任をこんなにも軽っぽく使ってしまうのでは議会の緊張感が薄れるだけだ。タウンミーティングのやらせ質問や無駄遣いも恥ずかしいが、この4日間の無駄遣いも考えてほしい。禁足で地元に帰れない日々が続く。
hagiuda1 at 10:23|Permalink│
2006年12月10日
■党税調激論の日々
党政税調査会に連日衆参議員が集まり激論の一週間が続いた。特に道路特定財源の一般財源化については安倍総理の所信表明演説にも盛り込まれた重要政策ではあるが、「暫定税率の見直しをしないまま特定財源を他の目的に使って納税者の理解は得られるか」をめぐり多くの時間を費やした。一部新聞報道には私が東京がゆえ単純に「賛成」のような記事もあったが、そんな簡単な議論ではない。まず第一に道路をつくる約束で徴収した税を道路以外に使うのは国民の理解は得られないという大原則は申し上げた。他方、だからと言って年度が始まると聖域的に道路建設のみに使われる今の仕組みは見直すべきで「真に必要な道路はこれからもつくる」とする総理の方針をもってすれば地方の道路はつくらないという乱暴な話とはちがうと思う。それでは必要か不必要かはどのように判断するかが難しい基準になる。中央から見て無駄だと思われる道路も地元の人にしてみれば貴重な生活道路だという事もあるだろう。そこで私が主張したのは、今の道路の種別(カテゴリー)と補助制度の見直しもこの機会に行うべきだと申し上げた。たとえば現状ではあきらかに交通量が少ないであろう基幹道路であっても各県や市は自己負担率の軽減や工期短縮の為、高規格道路の認定を求める。本当は相互片側一車線で充分と思っていてもその方が総額はあがっても地元負担は下がるというギャップが生じる。又、地方の自治体は道路の特別会計を持っている東日本旅客鉄道株式会社ではないのですでに一般財源に近い形で運用され、起債の返還に充てているところもある。
それよりも都市部ではあかずの踏み切り対策や有料道路の政策的値下げに財源を使わせて欲しい。まもなく圏央道が中央高速までつながるがこの路線は元々首都圏の交通渋滞を緩和させ都市機能の強化と経済の活性化の為につくったのだが、その間、民営化が進み対距離料金制がスタンダードになりつつある。すなわち走った距離だけ高速料を払う事となるが、たとえば埼玉から横浜へ移動の場合圏央道を使うか首都高を使うかで、これではわざわざ遠回りをして高い料金を払う人などいるわけないので政策的機能が発揮できない。その為の活用なら道路関連整備ということで国民の理解はされやすいのではないかと申し上げた。
幸い政府・与党合意の中で一項目この事が墨黒く記される事になった。
もう一点私が主張したのは個人所得税の寄附金控除の拡大で現在の30%を米国並みの50%に引き上げ我国も寄附文化を涵養すべきと主張した。国は一時的には減収となるが学校や病院、自治体等に寄附が増えれば将来的には支出のフォームを変えられるとも思う。税は真に生き物でいずれも正解は一つではないが、その時代々に政治にたずさわる者の知恵が将来評価される。
それよりも都市部ではあかずの踏み切り対策や有料道路の政策的値下げに財源を使わせて欲しい。まもなく圏央道が中央高速までつながるがこの路線は元々首都圏の交通渋滞を緩和させ都市機能の強化と経済の活性化の為につくったのだが、その間、民営化が進み対距離料金制がスタンダードになりつつある。すなわち走った距離だけ高速料を払う事となるが、たとえば埼玉から横浜へ移動の場合圏央道を使うか首都高を使うかで、これではわざわざ遠回りをして高い料金を払う人などいるわけないので政策的機能が発揮できない。その為の活用なら道路関連整備ということで国民の理解はされやすいのではないかと申し上げた。
幸い政府・与党合意の中で一項目この事が墨黒く記される事になった。
もう一点私が主張したのは個人所得税の寄附金控除の拡大で現在の30%を米国並みの50%に引き上げ我国も寄附文化を涵養すべきと主張した。国は一時的には減収となるが学校や病院、自治体等に寄附が増えれば将来的には支出のフォームを変えられるとも思う。税は真に生き物でいずれも正解は一つではないが、その時代々に政治にたずさわる者の知恵が将来評価される。
hagiuda1 at 21:16|Permalink│
2006年12月02日
■森ジャパン敗れる!?
イラク復興支援活動の中、銃弾に倒れた外務省の故・奥大使、井ノ上書記官を偲んでのラグビーメモリアルマッチが秩父宮ラグビー場で開催され、我が国会ラグビー部と在京各国大使館チームの間で熱戦が繰り広げられた。奥大使が早大ラグビー部のOBであった事からラグビー仲間の皆さんが「奥さんの意志を継ごう」と基金をつくり、イラクの子供達へ本や文房具を送り続けている。
日本ラグビー協会の会長も務める森先生の下、国会議員も超党派でクラブをつくり加入者は大勢いるのだが、いよいよ試合となると集まりが悪い。私の場合、確かにラグビーをかじった経験はあるがとても試合で役に立つ状況にあらず、過大な期待を振り払うのに大変だ。
何も変っていないつもりで走るのだが、いつしか足がもつれてすぐにゼイゼイ。サントリーの清宮さんや防衛庁クラブの助っ人も入ったが試合結果は言うに及ばず。それでもノーサイド後、各国の皆さんと交わす会話とビールの味は格別だ。
地元ではラグビースクールの応援をしているが、最近では少しずつ生徒も増えてきたようだ。集団ゲームは数あれどゴールに向かって自分より後の仲間を信じボールをゆだねるスポーツは教育上も有効であり、最近は小学校でタグ・ラグビーを授業に入れる学校もある。問題はサッカーと異なり、タックルやセービングを行なうようになると学校の校庭では怪我も多く、やっぱり芝生のグランドが必要だと訴えてきた。
都議会時代に取組んだ小学校の校庭の芝生化が知事の英断で方向付けされたと聞いて喜んだがどうも近隣の粉塵対策と温暖化対策の色彩が強く、ラグビー禁止になるのではと危惧する。日本も次のW杯の出場権を持ったこの機会にラグビーの魅力を広める事ができるよう努力したい。
ちなみに週末は優勝をかけた早明戦に森会長と出かける。しばらく低迷が続いたが今年こそ明治の優勝を期待する。
hagiuda1 at 11:25|Permalink│