2008年06月

2008年06月27日

■拉致をあきめない

拉致問題対策特命委員会 北朝鮮テロ指定解除阻止に向け歯軋りをする1週間だった。既に米朝協議の推移を見ると、26日に6者協議の議長国である中国への「核開発計画の申告」が提出されるのはほぼ確実視されていただけに、何とか拉致問題が棚上げされないよう仲間で駆け回った。党内でも日朝国交正常化を前提とした融和優先グループと、圧力と対話を掲げる強硬派とがそれぞれ会合を重ね、党総裁直属の拉致対策本部の会合には安倍前総理や家族会の飯塚代表他、救う会の佐藤会長も出席し、緊迫した議論が続いた。

 私も今月11日の北京での日朝実務者協議以前に総連関係者が新潟にマンギョンボン号の接岸料の見積りを求めた事実関係や、大統領が米議会に通告した後、45日間の議会側の対応のシミュレーションや解除取り消しの可能性、日米の拉致問題に対する今後の協議は「いつ、誰が行うのか」等、細かく外務省に質した。45日のタイムリミットの中で「今後も十分に協議する方針を確認」等と言うのんきな事を言っていないで、直ぐにでも米国へ特使を派遣するとか、せめて総理は早急に電話会談を行うべきと申し上げた。その甲斐あってか、福田総理はブッシュ大統領に早速電話をかけ、ブッシュ大統領も「拉致問題を置き去りにしない」旨、記者会見で一定のメッセージは発した。翌日は米大使館から調査員が当方を訪れ、指定解除が及ぼす今後の日米関係について質問があった。私は米側の立場も解るが「拉致がテロ」と国際社会に発したのは真に米国で、核施設の無能力化だけでその解除が行われるのは全く理解できない。最大の同盟関係である以上45日間の中で拉致解決を絶対条件に加えて欲しいと申し上げた。

 再調査を約束したとは言え、斉木局長とキム本部長の事務レベルの約束だ。小泉―金日成で約束して横田めぐみさんのニセ遺骨を提出する国が、役人同士の約束で何を出すのか?人道的支援物資というが、今まで北朝鮮へ食料や物質を送って、量より先の貧困な国民に届いた事があるのか?

 長年、地道にこの問題に取り組んできた警視庁公安のOB達が私の部屋を訪れ、ため息をもらす。北側は拉致の全容を承知しているはずだ。いたずらな調査で時間稼ぎをしたり、米側へのアリバイ工作に使われてはならない。くやしいが6者会議を離脱せず、一つずつ詰めていかなくてはならない。

 横田滋さんがいつも締めている青いストライプのネクタイは、解決を祈って八王子のネクタイ業 池田さんが織ってくれたものだ。

 自身の無力と向き合いながら決して諦めない決意で、日曜日は同じネクタイを締め同志の皆さんと街頭から訴える。


自民党青年部・青年局 全国一斉街頭行動
  『拉致を絶対にあきらめない』  東京会場ご案内
    6月29日(日)
      10:30〜 JR渋谷駅 「ハチ公」前 町村内閣官房長官 他
      13:30〜 JR吉祥寺駅北口     伊吹幹事長 他


hagiuda1 at 22:59|Permalink

2008年06月21日

■第169国会 閉会

 第169通常国会が事実上閉会した。前臨時国会からほぼ継続で270日を越えるロングランだった。今までの議会ルールや常識では乗り越えられない「ねじれ国会」という異常づくめの中で、様々な経験をする事となった。

 いずれにしても衆院の与党だけでは法案を通すことができないため、自民党らしい法案を目指すよりは民主党の賛成を得られるよう調整が必要となり、党内手続きに加え与野党協議という行程が増え多くの時間を費やした。全てが政局に絡まれ、日銀の総裁空席やガソリン税、竹光の問責決議と審議拒否、国民不在の国会を何としても軌道修正しなくてはならない。

 私自身も「災害被害者支援法」や「青少年をインターネットの有害情報から守るための環境整備法」等、6本の議員立法の提案者となり、4本を可決する事ができた。意外にも他党と調整上手な事に「力仕事しかできないと思っていた」と党政調会の上司から冷やかされたが、政党色の薄い地方議会では当たり前の経験でもある。他方、法案は継続審査となったが、薬害肝炎対策では福田総理の決断もあり、全員一律救済への道筋を作ることができ、改めて政治の責任と役割の大きさを実感した。

 又、「火山議連」や「頑張る学校応援団」、「医療危機打開議連」や「2016オリンピック招致推進議連」等、いくつもの議員連盟の結成にも携わり、事務局長も拝命し多くの同志を得る事ができた。

 中でもユニークなのは隣の選挙区の伊藤公介先生に誘われ加入した“名君「保科正之公の生涯」のNHK大河ドラマ実現を応援する国会議員の会”だ。総務委員として毎年NHKの予算審議に登場する私が特定の番組を作れと迫れば政治介入となるので、あくまで「実現を応援する会」である。

 保科正之公は1611年(慶長16年)〜1672年(寛文12年)、徳川家康の孫・三代将軍 家光の異母弟で、長野高遠藩主 保科正光の養子となり、後に山形、会津藩主をつとめた名君であり教育者としても有名だ。特に今日の東京の飲料水の源でもある玉川上水の建設を決断したり、税制改革や減税でも大きな功績を納めた。と、私も最近学んだのだが、なぜ議連に誘われたかと言うと、正之公は武田信玄の五女 信松尼に育てられた生い立ちがあり、正室 お江与の方の一派に命を狙われながら八王子市に隠れ住んでいた事があるからだ。台町の信松院に葬られる松姫様と言えば解かる人も多いだろう。

 葵紋の使用を許可されるも辞退し、徳川家を脇で支え、生涯保科の姓を名乗った実務派の政治家である。

 かすかだが八王子市と縁のある正之公のドラマが出来れば市民にも励みになると思い、お手伝いを始めた。

 書物を読むほどに魅力を感じる政治家であり、今日に照らしても学ぶ事は多い。図らずも茶道連盟のお茶会で信松院をお参りした。いつの時代も安易な政治環境など無いと思うが、その時々の知恵と勇気で乗り越えてきた先人に学び、次の国会へ臨む。


hagiuda1 at 13:04|Permalink

2008年06月13日

■参議院デビュー

青少年代議士アップ 「青少年が安全で安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」が成立した。規制のあり方や国の関与等様々な賛否が党内でも各党間でもうずまき、紆余曲折あって産みの苦しみを味わったが、現段階で可能な最大限の制度設計をしたつもりだ。民放連などは直前まで「表現の自由」を振りかざして“国の関与はいらない”“法律はいらない”と抵抗していたが、ひとたび秋葉原のような事件が起こると「書き込みをもっと早く見つけられなかったのか?」「警察は何をしていたのか?」と、コメンテーターを並べて勝手を言う事に憤りを覚える。有害情報とどう向き合っていくか?利用者も販売業者も学校も家庭も、そして省庁もネットに関わるすべてのプレーヤーが社会総がかりで、子供達の環境の向上を目指す一助になればと願う。

青少年代議士俯瞰 法案審査では初めて参議院の委員会に出席し、答弁の機会も得た。
 衆院のカーボンコピーと比喩される参院だが、様々な点で相違点があり驚かされた。例えば法案提案者である我々や参考人は、部屋の入り口に座る、すなわち上座に委員がいて、下座に座らされる事となる。参院ではどういう議題であっても上座に席が用意される。これは貴族院の名残なんだろう。又、衆院では発言席が固定になっており、発言者も答弁者も決められた席まで移動し発言をするのだが、参院では全てを自席で行う。約3時間の途中では「コーヒーと紅茶、どちらが良いですか?」と喫茶室の店員が聞きにきてお茶が出る。もともと定数が少ないので委員数が少ないのはやむを得ないが、出席はそのまた半数。採決間際に出てくる議員はさすがに大物ばかりで、文句も言いづらい面々。もちろん会期末間近で、掛け持ちで他の委員会に出席している先生方もいるだろうが、「衆院が全会一致で委員長提案した議案をわざわざこういう形で質疑をする必要があるのだろうか?」と頭をひねる。
 解散のない6年任期で緊張感も薄れる代わりに、落ち着いて議論できる環境が参院にはある。参院の存在意義を考えれば、今のような体系ではなく憲法や教育、決算等時間をかけた専門的な取組みや議員外交等に特化すべきではないか?と感じた。優秀な方々も大勢いるが、それが活かされていない二院制の意義を見直す時かも知れない。

 そんな参院で首相の問責決議案が提出され、賛成多数で可決した。残りわずかでどういう意図があるのかは想像はつくが、審議ができなくなった法案には国民生活に関連の深い案件もあり、政局に潰されるのは残念だ。
 国際条約の成立のため、6日間の延長を決めた。

hagiuda1 at 21:56|Permalink

2008年06月06日

■2016東京オリンピック実現に一歩前進

代議士オリンピック司会 6月5日 午前1時(日本時間)にアテネで行われたIOC役員会において、東京は最終選考4都市に選ばれ、総合評価1位で通過した。今後は来年10月のIOC総会に向け、国際招致運動へと発展する。言い換えれば、これからが本当の国を挙げての戦いとなる。当日は都庁で集まり決定の瞬間を皆で待とうと出席を求められたが、10時より超党派による招致議連の発起人会準備の為、欠席した。

 私が進行を任され、名称は2016オリンピック日本招致推進議員連盟とし、会長には森元総理に就任いただいた。今後は各党で会員拡大を図り、次の臨時国会のできるだけ早い時期に設立総会を開く事で合意し、最後は民主党の渡部恒三先生の「2016年には生きてねえかも知れないけど、子供達に夢を与える為にも党派を超え、招致に全力で臨もう」というユーモアあふれる〆のご挨拶でなごやかに閉会した。

オリンピック全体 石原都知事も出席し「お礼の挨拶」としたが、およそお礼と言うよりは恫喝(?)に近い協力要請で、長男 伸晃氏は終始下を向いていた。IOCの評価の中でも心配なのが国民の関心の低さで、これを機に国会での招致決議をしたり、政府として国内開催のメリットを国民に分かりやすく訴えていけるよう様々な取り組みが必要だ。とかく東京一人勝論が横行する永田町でこのオリンピック招致は東京の為だけではなく、成長した日本の姿、環境や経済面でのアジアのリーダーシップを示す上で、国として大切なチャンスになる事を啓蒙していかなくてはならない。街頭インタビューでは「東京で2度もやらなくても・・・」と意見があるが、名古屋が負け、大阪が負け、実は三度目の正直であり、21世紀中最後の機会である事も知って欲しい。残り1年余りだが仲間の皆さんと力を合わせて、良い結果が出せるよう自身もがんばりたい。

hagiuda1 at 20:50|Permalink