2009年02月

2009年02月27日

■石原都知事を迎えて

semina- 9回目を迎えた東京ルネッサンス21(会長 川名法人・幹事長 安藤謙治)主催の時局セミナーが開催され盛況のうち無事終了した。

 福田、安倍、森、昨年は小泉元総理と、近年図らずも歴代総理をお務めになられた先生方の贅沢な講師布陣で進めてきたが、いよいよ今年はどうしようと困った末、石原慎太郎都知事にお願いする事となった。

 実は知事が政治家の会で講師を務めるのは極めて稀な事で、前例を作りたくない都知事周辺は慎重な対応で結論が出なかったが、年末、オリンピック招致の会合で直接お願いしたら二つ返事で「行くよ、八王子」となった。

DSC_0245 久しぶりの石原節は少しお年を召したせいか全盛期の迫力はなくなったが国政、世界情勢、環境等、約1時間に渡って熱弁をふるっていただいた。特に共に取り組む2016オリンピック・パラリンピック東京招致では私なりの最終4都市の比較を説明し、東京の優位性を主張したが知事からは「ちょっと萩生田さんの分析は楽観的過ぎるな。オリンピック招致があらゆる問題の絡む外交問題という事を苦慮していますよ」と珍しく弱気な発言。いつもは知事が「絶対優位」を主張し、私が政府側として「色々な条件がふくそう輻輳するので予断は許さない」と慎重論をぶっていたのに・・・。肝心の国会招致決議も未だの状況で、知事もかなりこたえているのかもしれない。いずれにしても次は4月のIOC委員視察が大きなポイントになるので、都とも連携を強化し東京ならではの魅力ある発信が出来るよう努力を続ける。
 
 さて、やっとの事で平成21年度予算が本日、衆議院を通過した。この事でどんなに参院でサボタージュを受けても30日を経過した3月29日に年度内成立が出来る。第1次補正からの積み上げ総額75兆円規模の経済対策が動き出す。アメリカの大雑把な72兆円とほぼ同規模なのにオバマを日本のマスコミが絶賛し、先に対応した麻生はダメという報道は理解できない。予算が通れば間違えなく党内でも麻生批判の声が高まり、総裁選の前倒し等、様々な動きが予想されるが、私はセミナーでも「他人のせいにせず、ひたむきに内閣の一員としての職責を果たす」事を約束した。選挙の為の総理などと言う議論には組することなく、骨太の党改革に向け声を発していきたい。


hagiuda1 at 16:49|Permalink

2009年02月20日

■今度は中川財務相

 08年10月〜12月期のGDP(国内総生産)の実質成長率が年率換算で前年比12.7%減となり、第1次オイルショックの74年に次ぐ歴史的な落ち込みとなった。与謝野経財相は「戦後最大の経済危機」を宣言し、日本経済の建て直しの為、平成20年度第2次補正予算と21年度予算成立、1日も早い施行が喫緊の課題である事が浮き彫りにされた。

 そんな重要な時に今度は中川財務大臣が・・・・・・。親しくお付き合いをさせていただいているので、一目で「やってしまった」と悔やんだ。腰痛持ちの大臣は強い鎮痛剤を持ち歩いている。体調が悪かったり、少量の酒や別の薬との飲み合わせでろれつの回らない酩酊状態に立ち会った事が2度あった。もちろん量の問題ではなく酒を控える事は言うまでもないが、同行した財務省幹部や秘書官は異変に気づかなかったのだろうか。本人の名誉の為に申し上げておくが、ヨッパライの中川大臣はもっと明るい。

 しかし事はG7、外交の場であり、世界に配信された映像は日本の信頼と国益を損ない、閣僚として万死に値する。

 麻生総理に批判的な議員は「薬であんなになる訳ない」と決め付けるが、薬の怖さは私自身経験がある。もう10年以上前だが、扁桃腺が腫れ熱が出たとき、「病院で貰った子供の解熱剤がある」と冷蔵庫から出した小さな薬を2錠口にして寝たが、30分もすると全身が熱くなり呼吸が出来なくなり、生まれて初めて救急車で医療センターへ運ばれた。一晩の点滴治療で事なきを得たが、これを機に薬には慎重になり医学部の6年制化へも尽力した。

 既に辞任した大臣に鞭打つつもりはないが、政策立案能力と保守のしっかりとした国家観を持つエースとしての自覚と健康を取り戻して、1日も早い再起を望みたい。


hagiuda1 at 19:29|Permalink

2009年02月13日

■大切な1日

 IOC(国際オリンピック委員会)への立候補ファイル提出期限を迎えた2月12日、本来添付するはずの国会での招致決議は可決できずそのままの提出となった。既に衆・参とも賛成者、提案者も決まり準備は整ったのだが、最終的には民主党幹部からストップがかかった。議連に所属する民主党議員は前向きな努力をしていただき機関決定まで済ませたのに、どこからかの反対の理由は毎日変わり、一つ解決すれば又一つ出てきて、最後は石原都知事の頼み方が悪い、根廻しが悪いとの事。知事のキャラクターについては今更言っても仕方ないが、問題は頼み方云々より国会としての意志を問われている。もし反対なら反対の理由を述べれば良いのであり、決議をさせないというのはオリンピック・パラリンピックを政局に扱う卑劣な行為と言わざるを得ない。期限を過ぎても何とか国会の良識だけは示すべく引き続き努力をする事となった。

 3学期に入り連日地元の小学校6年生が国会見学に訪れている。公務とぶつからない限り、できるだけ出向いて生の声で説明をし、又、子供達からのユニークな質問の答弁に困る場面もあり、私自身も勉強の良い機会と思っている。もちろん政党や選挙の話は避け、公に徹してバランスよく話をしているつもりだが、感謝をする先生もいれば子供以上に礼儀知らずの教員もいて、改めて教員の質の不安を感じる。

 子供達には小6の3学期はかけがえのない大切な時間なので、この時期に6年間の復習をしっかりやって、一日一日を大事に卒業式を迎えて欲しいと挨拶をして別れる。

 そんな中、文部科学大臣優秀教員表彰式に出席した。全国から826人の将来の幹部となる中堅教員が選ばれ、本市からも小・中各1名が表彰されたが、代表で謝辞を述べた先生をはじめ出席者の顔を見ても自信に溢れ頼もしく見える先生方ばかりだ。

 しかし気になる事があって、省内の幹部会議で大臣に具申した。「全国からの受賞者は日本中から集まり、前泊の方もいる。折角文科省に集まるなら単なる式典に留まらず、現場の声も聞かせていただきたいし、旬なテーマで研修を行えば校長や教育長とは異なる啓蒙も出来るはず。なぜこの時期なのか?何より中学生は今、高校受験を控えた一番大切な時だけに、心ある先生ほど後ろ髪を惹かれる想いで出席されているのではないか?来年からは1ヶ月前倒しして冬休みか、1ヶ月遅らせて春休み期間中に実施すべき。文科省の現場感覚を疑われても仕方ない。再考を。」の私の提案に全員が同意をしてくれ、直ちに検討に入った。3学期の大切な一日を文科省も守るべきだ。


hagiuda1 at 17:57|Permalink

2009年02月06日

■絵日記

 「1970年 大阪万博の軌跡2009in東京」という特設展が国立科学博物館で開催され視察に行った。日本万博機構が全国展示をしている一環として40年目にあたる今年、東京での開催となった。

 当時、私は小学校1年生だったと記憶するが、夏休みの宿題の絵日記を友人宅で描く事になり5人で集まったが、4人が万博へ家族で行き、それぞれパビリオンの絵を描き始めたのにショックを受けたのを鮮明に覚えている。

 我家は万博はテレビで観るものだと思っていたし、大阪ははるかに遠い場所で行けるとも思っておらず、家族で行った千葉の海とくわがた採りを描いたが、なぜか「光ちゃんも描けよ」と友人に勧められ、行ってもいない「ソ連館」の絵ハガキの写真を見ながら描いたものを一枚提出した。その後、しばらく教室に貼り出されたエキスポコーナーの絵を見て、うしろめたさを感じ続けた苦い思い出がある。後にわかった事だが行った皆さんも3〜5時間待ちで、1つのパビリオンしか観れずに帰ってきたそうだ。観てないアメリカ館の「月の石」の絵を描いた友人もいた。

 40年目の万博は実に新鮮に思え、その時代の未来科学は携帯電話にしても電気自動車にしても現実のものとなっている事に日本の底力を感じる。当時の事務局長が鈴木俊一元都知事で、その後の東京の街づくりに様々な場面でそのDNAが活かされている事も確信した。

IMG_6911 さて、例年通り節分では北島三郎さんとの高尾山を皮切りに、夕方の八幡八雲神社まで6ヶ所を駆け廻った。西寺方の宝生寺では格闘技の小川選手と北京オリンピックの柔道金メダリストとなった石井慧選手がそろい大にぎわい。二人とも子供達と写真を撮ったり握手に応じたりの大サービスで、いつまでも列がとぎれなかった。ウィークデーの昼間、中々子供達の姿を目にする事はできないが、伝統行事を知っていただく上でも幼児や小学校低学年等、近所の豆まきに課外授業として参加してはどうだろうか?思い出と絵日記のレパートリーも増えるはずだ。


hagiuda1 at 20:21|Permalink