2009年10月

2009年10月30日

■政権主導、政治暴走?

 新政権、各大臣の華やかな連日のパフォーマンスとは裏腹に、早期開会を求めた野党側の要求を逃げ回りやっと国会が始まった。会期は驚くほど短く、本来の仕事よりテレビ出演や地方視察でメッセージ性を高めるキャンペーンに、まんまと国民が乗せられている。
 出来るだけ中立に総理の所信表明を聞いたが、ほわほわとした抽象論に終始し、新内閣の国家観は私には伝わらなかった。
会合で久しぶりに会った城内議員曰く「“地球友愛同盟東アジア地区日本支部長”の演説だったね」と皮肉った。

 一方、攻める自民も物足りない。谷垣総裁はそれなりに品位を保つのは止むを得ないが、折角抜擢された若手代表の西村氏は、緊張しながらの発言で爽やかではあったが、もっと野党らしく攻め込むべきだった。
そもそも、国会が議決した補正予算3兆円を減額するなら、当然国会へ新たなる補正を出しなおすのが筋だ。
鳩山総理や菅副総理の方が答弁で「あなた方には言われたくない」とか、「西村外務大臣政務官の大活躍を不幸にも知らない」と野党の様なセリフで応酬し、自民党は再質問の機会もなかった。私なら「安心ください」、「ご心配なく」では国民が納得いく答弁になってない。何故安心なのか?何故心配ないのかを具体的に説明しろと、答弁漏れだと主張し、もう一度登壇しただろう。永年与党だったのだからという矜持も大切だが、健全野党らしく不適切な発言には、国会審議を止めるぐらいの迫力が欲しいと思う。
何よりぶつぶつ一人野次を飛ばしながら、テレビで国会中継を観る事の寂しさはなんとも言えない。

 さて、夫婦別姓、外国人参政権、皇室典範改悪等日本の国柄に係わる重要な法案提出の阻止に向け請願提出の集会が開かれ久しぶりに落選保守派が憲政記念館に集まった。急逝された中川昭一先生の追悼を兼ねる事となった集会は、3,000名を越える多くの国民が会場外まで溢れ、奥様のご挨拶に皆が咽び泣き「日本が危ない」と言う故人の呼びかけに呼応する会となった。リレートークに立った私は「法律は国会に上程され国民も知る事が出来るが、大臣の判断で変えられる省内事項に大切なものがある事を、是非アンテナを高く見守ろう。」と呼びかけた。中・高校生の地理・歴史の学習指導要領の解説書に、静かに、そして当たり前に「竹島」を記述した私の経験は、その逆もあり得る事を証明している。

 「萩生田、落ちこぼれの会をつくるぞ。落選組の方が、日本を憂う政治家が多いからな」と9月上旬、最後に会った中川昭一先生の言葉を思い出した。次々に登壇した落選議員はしっかりとした国家観を持ち、この国を憂う気持ちが伝わる名演説を繰り返した。自民党再生の為にも、日本の将来の為にも、落選同志の果たす役割を再確認し、近く中川先生の遺志を会としてまとめ継承していきたい。

hagiuda1 at 16:59|Permalink

2009年10月23日

■鳩山外交への杞憂

 日米の緊張関係が高まっている。
インド洋での自衛隊給油活動の撤退や、米軍普天間飛行場の移転計画見直し等、今まで両国が積み上げてきた政府合意が覆されていけば、米国も黙っていられないのは当然だ。米国内紙には「今や中国より厄介な存在」と日本を名指しにしているそうだし、来日中のゲーツ国防長官も苛立ちを隠さない。

 ジェームス・アワー氏を始め親日派の政治家・識者達が一斉に、鳩山政権への懸念を表明しているが、日本のマスコミはよいしょを続けている。
米国の政権交代が外国に多くの不信・不安を与えないのは、外交や安全保障の継続性が保たれているからだろう。民主党の良識派も沖縄県外への移転等、不可能な事は承知をしているのだが連立の副産物として背負い込まざるを得ない。

 「対等な日米関係」と言えば聞こえは良いが、軍隊を持たない我国が言葉遊びだけで安全保障を語る事はできない。台湾が国民党政権へと代わり両岸関係は経済を中心により緊密な方向へと向かっているが、同時に台湾海峡の中国支配という脅威も迫っている。沖縄への負担は党青年局長時代何度も伺って承知はしているが、地理的にも沖縄にしか果たせない役割もある。そして米軍基地を縮小しても、中国や北朝鮮の軍事能力を縮小する保証は何らない。
負担と支援のバランスの中で沖縄の皆さんの理解を求めながら、国益と安全を守る役割が新内閣にはあるはずだ。

 一方、郵政民営化の見直しが閣議決定され、西川社長が事実上更迭され、新社長に元大蔵省事務次官の斎藤次郎氏の就任が決まった。
これが良いなら、昨年の日銀の総裁・副総裁人事をめぐる民主党の大騒ぎは何だったのか?天下り禁止の定義がわからない。
国際市場で失った金融の信用、日米の信頼関係等、一度失えば取り戻すのに多くの時間がかかったり、あるいは取り戻せないものもある。子ども手当より国益を優先した政策を願いたい。


hagiuda1 at 17:05|Permalink

2009年10月16日

■政権交代の功罪

 私も初当選以来取り組んで来た羽田空港の国際化、24時間ハブ空港化が大きな話題になっている。皮肉にも突破口を開いたのは前原国交大臣だ。過去の経緯や役人の助言、何より千葉県や成田市を無視した発言は荒技だが政権交代ならではの果実で素直にエールを送りたい。

 悔しいのは本人も官房長官も「今までの延長線上の話」と言っているのに、マスコミはまったく新しい提案の様にもて囃す。勿論、担当大臣が公言した事は重たいが、過去にも石原都知事と会談の後、扇 千景大臣が同様の発言をし、以来党内でも羽田国際化議連を作り取り組みを進めて来た。第4滑走路が整備される事により増える11万回の離発着のうち3万回程度をパラメータ(飛行距離)2,000km以内という当初の案を、5年間の党内議論の成果として「3万回以上、近距離アジア便を中心に」と変えて来たのはまさしく私達だという自負がある。

 これは航空行政のみならず、金融・経済・国際政治におけるアジアの中心がどこになるのかも影響する極めて重要な問題だ。かつてはアジアでハイレベルの国際会議と言えば日本・東京が当たり前だったが、今では韓国、インド、シンガポール、インドネシア等分散化をしてきたし、中国の台頭は言うまでもない。各国が24時間出入り可能なのに日本だけが、日本のデイタイム(8:00〜21:00)しか空港利用を認めない上、成田から都心のホテルまで一時間以上もかかるのでは敬遠される理由も解かる。オリンピック招致でもこの点が一番心配された。
時差のある国際社会で「日本の夜だけは静かに」という独り善がりの姿勢ではもはや通用しないし、アジアのリーダーとしての地位を確保する事は出来なくなるだろう。森田千葉県知事の軽薄なパフォーマンスも今回だけは歓迎で、ここは真にチャンス。ブレる事なく前進する事を期待したい。

 一方、平成22年度の概算要求は90兆円を超える状況だ。子ども手当や高校無償化等、民主党の目玉政策は「無駄を省いて捻出する」と大見得を切っていたはずが財源は結局、赤字国債の増発に頼る様子。文科大臣は全国一斉学力テストを一部の抽出に切り替えて40億円を拠出したと胸を張るが、学力テストが行政の無駄なのか?喜ぶのは自分達の職場に外部の客観的評価や習熟度の比較により、指導力を疑われる事に危惧し廃止を唱えてきた日教組ぐらいだが・・・。折角の子ども手当を受け取った世代が、将来の借金を背負うならただの前借りで、国民の期待した子育て支援策とは違うだろう。

 政権交代の功罪、まずはお手並みを拝見。


hagiuda1 at 18:01|Permalink

2009年10月09日

■突然の訃報

オリンピック招致が決定後予定していた祝勝会は残念会へと変更した。 中止し
ても…と意見もあったが既にホテルのバンケットを準備していた為 盛り上がらないパーティーとなった。それでも多くの邦人会の皆さんが集まっていただいた。

 コペンハーゲンもそうだがよっぽど民間の方々のほうが熱心で大使館の冷めた対応とは対照的だ。福田内閣時代に全ての在外大使館に招致協力をしたがのぼりやパンフレットをきちんとおいた国はいくつもないと思う。オリンピックは文科省の仕事 あるいは地方自治体の責任という概念を捨て国を挙げ取り組まない限りあらゆる国際大会の招致は今後も難しいだろう。

 我々一行は東京都の姉妹都市でもあるローマに立ち寄り関係者に支援のお礼を申し上げた。 休日にもかかわらず歓迎していただいたローマ市の皆さんとはこれまた対照的にイタリアオリンピック委員会の皆さんの冷めた対応に外交の難しさを改めてかんじた。

中川昭一先生の突然の訃報に接したのは皮肉にもローマだった。財務大臣としてG8で朦朧会見をしたことで異常に知名度が高くどこでもその話題一色で地元メディアでもその映像が映されるたびに解説の言葉は解らないが心が痛む。

 保守派のエースとしてまだまだ将来があったのに残念でならない。最後にお会いしたのは落選後 安倍元総理らが中川先生と私の激励会を開いていただき、その中川先生からも励まされた。「落ちこぼれの会 つくるぞ 俺が会長でお前幹事長な」来月から月一で集まる段取りを… そんな会話をかわした。皆さんからはこの時期に腰の手術を受けた方がいいので渡米してはどうかと勧められていた。原因はわからないがあまりにも早い別れに言葉がない。残念だ。

先生の遺志もついで精進を誓う。合掌


hagiuda1 at 18:10|Permalink

2009年10月03日

■日本敗れる

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2016年オリンピック開催地は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに決定した。
6年前、2013年の多摩国体を一過性のものにしたくないという願いから「オリンピックの開催はできないか?」と当時の横山教育長に提案した事が現実味を増し今日まで取り組みを続けてきたが、世界の壁は厚かった。
日本の持つ新たな可能性と共に1964年東京開催時の施設を大切に使うレガシィ精神、コンパクト開催など最良の提案をした。招致委員会の役員としてコペンハーゲンへ乗り込みサポートをしたプレゼンテーションでは、体操を習う少女の未来への夢から始まる将来志向の大会をテーマに環境にも配慮した最高のもので各国も絶賛した。しかし内政の混乱ぶりはどう繕っても見え見えで、国会決議を引き延ばした鳩山総理がスピーチし、都議会議長が最近まで反対だった事も周知の事実だ。政権交代がマイナス要素だった事は否めない。一回目の投票で本命シカゴに勝ったのが救いだが、二回目で得票を減らした事は国際会議の難しさを知らされた。
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石原知事の敗戦の弁はさわやかだったが、反対派からは非難の声があがるのは想像できる。反省会で森会長はじめ先輩方からは「一番大変な時に萩生田が良く頑張った」と労いの言葉をいただき胸が熱くなった。次の2020年を目指すかはまだ不透明だが、この間積み上げてきたスポーツ振興や体育教育のあり方、東京の街づくりの新しいコンセプト等、無駄にする事のないようしっかりと実行に移していきたい。

衆議院選挙に続く2連敗、厄落としはすんだろう。


hagiuda1 at 18:42|Permalink