2011年10月
2011年10月28日
■人事院勧告
野田内閣は国家公務員給与を平均0.23%引き下げるとした平成23年度人事院勧告の実施見送りを決めた。理由は東日本大震災の復興財源確保に平均7.8%の給与削減法案の成立を優先するためだ。未曾有の大震災を受けてオールジャパンで復興財源を確保しなくてはならない時に、国家公務員にも我慢をしてもらうと言えば、国民の理解は得やすく、それに反対し、人勧を守れとする自民党は改革の出来ない守旧派政党のレッテル貼りをしたいのだろうが、ここには危険な政治意図がある事を見落としてはならない。まず、憲法上の問題だ。国家公務員は労働基本権が制約されており、労使交渉が出来ない代わりに人勧制度を尊重してきた。憲法を骨抜きに、又、都合良い例外を作りたい民主党の一部にとってはどうしてもつくりたい既成事実であり、政治主導の成果とでも胸を張るのだろう。
もう一点は民主党の最大支持団体であり、労働者を守る立場にある連合が賃下げに了解を示している不気味さだ。国家公務員に限らず、地方教育公務員までの公務員に労働協約締結権の付与を求めている民主党と組合にとって、復興に名を借りた人勧無視の賃下げが大きな突破口に繋がる思惑が透けて見える。労使交渉が実現すればかつての国鉄のように国民の知らないところで賃上げや特別手当等が話し合われる事にもなり、スト権を要求する事も考えられる。身を切らして骨を切る大芝居に国民は騙されてはいけない。
簡単な話で、政府は人勧に従って賃下げの後に時限立法の賃金カットを提案すれば野党も賛成し、復興財源は間違いなく確保できるのに…。
プロ野球ドラフト会議、今年も悲喜交交のドラマがあった。息子の同級生でリトルやシニアの時代から対戦をし、つい先日まで練習試合等で観てきた高校生達が、いよいよプロに行くと思うと不思議な親しみを感じ、エールを送りたい。日本ハムが読売グループの圧力に屈せず東海大の菅野君を指名したのはドラフト制度の健全さを証明する爽快な結果だった。昨年の斎藤佑樹だって本音は在京希望だったと思うが、今や北の大地で皆さんに暖かく育てていただき、はつらつとプレーをしている。菅野君もプロを目指した以上、堂々とマウンドに立って次の子供達に夢を与えて欲しい。
都政でも国政でも何党でもいいから政治家になりたいという卑しい話とは違うはずだ。
もう一点は民主党の最大支持団体であり、労働者を守る立場にある連合が賃下げに了解を示している不気味さだ。国家公務員に限らず、地方教育公務員までの公務員に労働協約締結権の付与を求めている民主党と組合にとって、復興に名を借りた人勧無視の賃下げが大きな突破口に繋がる思惑が透けて見える。労使交渉が実現すればかつての国鉄のように国民の知らないところで賃上げや特別手当等が話し合われる事にもなり、スト権を要求する事も考えられる。身を切らして骨を切る大芝居に国民は騙されてはいけない。
簡単な話で、政府は人勧に従って賃下げの後に時限立法の賃金カットを提案すれば野党も賛成し、復興財源は間違いなく確保できるのに…。
プロ野球ドラフト会議、今年も悲喜交交のドラマがあった。息子の同級生でリトルやシニアの時代から対戦をし、つい先日まで練習試合等で観てきた高校生達が、いよいよプロに行くと思うと不思議な親しみを感じ、エールを送りたい。日本ハムが読売グループの圧力に屈せず東海大の菅野君を指名したのはドラフト制度の健全さを証明する爽快な結果だった。昨年の斎藤佑樹だって本音は在京希望だったと思うが、今や北の大地で皆さんに暖かく育てていただき、はつらつとプレーをしている。菅野君もプロを目指した以上、堂々とマウンドに立って次の子供達に夢を与えて欲しい。
都政でも国政でも何党でもいいから政治家になりたいという卑しい話とは違うはずだ。
hagiuda1 at 17:30|Permalink│
2011年10月21日
■被災地支援旅行
恒例となった後援会女性部主催の一泊旅行会が今年は福島県、茨城県の被災地支援も兼ね実施された。
東日本大震災の影響もあり、10月の開催は初めてで、運動会や文化祭等とも重なり参加できない地域の方々もいらっしゃったが、それでも400名余の一行は現地では今年最大の団体客との事で地元民放では夜のニュースになるほどだった。
宿泊先の磐梯熱海の旅館だけでも3月以降27000人のキャンセルが発生し300人いた従業員も半数が退職を余儀なくされ、どうにか営業を続けてきた苦労話を支配人が皆さんに吐露された。
宴席に駆けつけてくれた被災地の亀岡前代議士には、旅行に参加できなかった女性部の方が作ってくれた手編みの靴下カバーを「是非仮設住宅で暮らす皆さんへ」と手渡した。
風評被害に苦しむのは農家も同じで出荷が出来ず手塩にかけて育てた野菜や果実を泣きながら廃棄をしてきた実態、仲間が自殺をした悲しい事実を直接農家の代表からも伺った。


そんな農家の皆さんが朝採り新鮮野菜を持ち寄って集まっていただく事となり、今回の主旨を理解していただいた女性部パワーで直売所は始まって以来の盛況で大げさではなく農家の皆さんは涙を流して喜んでいただいた。私達に出来る事は限りがあるがこういう支援で福島の皆さんに勇気を与える事が出来るならと来月19・20のいちょう祭りの陵南公園にブースを開設し福島農家の皆さんを招待する事となった。是非お立ち寄りいただきご協力いただければ幸いだ。

落選以来、再起を期して活動を共にしている「自民党奪還の会」のメンバーが八王子に集まり街頭演説会を行った。メンバーの選挙区を毎月順番に回りながら続けている演説会当番だったがたまたまその日の朝刊(※注)に私を含めこの会の記事が載った事もあり、多くの方々が足を止め演説を聞いてくれた。やはり、苦労を共にしている仲間の感覚は同じでこの思いを国政に持ち帰れば自民党は必ず変えられると確信した。現場感覚を磨きなおし、それぞれの故郷の声をしっかり聞いて仲間ともう一度素晴らしい日本創りに汗したい。

※産経新聞 平成23年10月19日 水曜日

東日本大震災の影響もあり、10月の開催は初めてで、運動会や文化祭等とも重なり参加できない地域の方々もいらっしゃったが、それでも400名余の一行は現地では今年最大の団体客との事で地元民放では夜のニュースになるほどだった。
宿泊先の磐梯熱海の旅館だけでも3月以降27000人のキャンセルが発生し300人いた従業員も半数が退職を余儀なくされ、どうにか営業を続けてきた苦労話を支配人が皆さんに吐露された。

宴席に駆けつけてくれた被災地の亀岡前代議士には、旅行に参加できなかった女性部の方が作ってくれた手編みの靴下カバーを「是非仮設住宅で暮らす皆さんへ」と手渡した。
風評被害に苦しむのは農家も同じで出荷が出来ず手塩にかけて育てた野菜や果実を泣きながら廃棄をしてきた実態、仲間が自殺をした悲しい事実を直接農家の代表からも伺った。


そんな農家の皆さんが朝採り新鮮野菜を持ち寄って集まっていただく事となり、今回の主旨を理解していただいた女性部パワーで直売所は始まって以来の盛況で大げさではなく農家の皆さんは涙を流して喜んでいただいた。私達に出来る事は限りがあるがこういう支援で福島の皆さんに勇気を与える事が出来るならと来月19・20のいちょう祭りの陵南公園にブースを開設し福島農家の皆さんを招待する事となった。是非お立ち寄りいただきご協力いただければ幸いだ。

落選以来、再起を期して活動を共にしている「自民党奪還の会」のメンバーが八王子に集まり街頭演説会を行った。メンバーの選挙区を毎月順番に回りながら続けている演説会当番だったがたまたまその日の朝刊(※注)に私を含めこの会の記事が載った事もあり、多くの方々が足を止め演説を聞いてくれた。やはり、苦労を共にしている仲間の感覚は同じでこの思いを国政に持ち帰れば自民党は必ず変えられると確信した。現場感覚を磨きなおし、それぞれの故郷の声をしっかり聞いて仲間ともう一度素晴らしい日本創りに汗したい。

※産経新聞 平成23年10月19日 水曜日

hagiuda1 at 19:55|Permalink│
2011年10月14日
■中華民国100年
中華民国建国100周年祝賀 自民党訪華団(麻生太郎団長)の一員として一年振りに台湾を訪問した。日中国交正常化と共に台湾との正式国交が途絶えて以来、自民党青年局が日台外交の窓口となり、歴代の党青年局長が外交責任者を務めてきた歴史があり、今回その歴代と現役との合同ミッションに招かれた。麻生元総理、塩谷総務会長、古屋、下村先輩や党は変わったとはいえ平沼赳夫日華懇会長らにまざり現職ではない私が国賓待遇をいただくのはビザなし交流や免許証の相互利用、高雄-八王子の姉妹都市締結等で飛躍的に日台友好関係を向上させた人物と評価をいただいているそうで、かけがえのない日台関係に人後に落ちない頑張りをしてきた事を改めて誇りに思うと共にいつまでも大切にしてくれる事を光栄に思う。
もっともそんな事を知っているのは一部の政府関係者やかつての議員仲間であり、もっぱら日台両国のマスコミの注目は第44代次期青年局長に内定した小泉進次郎議員だ。夜の懇親会では「私が41代局長になった時には記事にもならなかったが、“えー?萩生田さんて、進次郎もなった青年局長だったの”と話題になれば光栄。八王子へいつ来てくれるんだ?」と先輩風を吹かして爆笑をかった。
私達一行は羽田での結団式の後、わずか3時間で台北松山空港へ到着。昨年10月から就航した羽田-松山チャーター便は1日8便が連日満席に近い状態で運行されている。国交のない国と毎日定期的にチャーター便が飛ぶというのも不思議な話でどこまで彼の国に気兼ねをするのだろうと改めて思う。
台湾新幹線に乗り換え、まずは台中の健民国民小学校へ東日本大震災義援金拠出お礼の式典へ向かった。東海道新幹線とそっくりな車両にびっくりする小泉新局長に日本の鉄輪を導入してもらった経過やその事で空いた松山空港の国内線枠を羽田と結んだ経緯等を私からレクチャーさせていただいた。
因みにこの小学校は1999年の台湾大地震で校舎が倒壊し日本からの義援金で再建したことから「今度は日本の友人を助けよう」と児童達が小遣いなどから190万円もの義援金を送ってくれた学校だ。この時「日本の恩義を将来まで忘れてはならない」と校庭には「感恩亭」と名づけた東屋も建てられた。

「感謝」「加油日本」とプラカードを掲げた子供達の歌や踊りの大歓迎には私達一行もハンカチで目頭をおさえる感激をいただいた。
分刻みの日程で台北へ戻り記者会見や与野党議員との意見交流、夜には王金平立法院長主催の歓迎レセプションに出席した。
22:00からはホテルのラウンジを貸切っての麻生団長主催懇親会。日本関係者だけの気のおけない会ではあるが既にレセプションで紹興酒での「乾杯 乾杯」の洗礼を受けた一行は目をこすりながらの集合、この時間日本では23時。早朝から集まった全国の地方議員代表達は(私も)さすがに眠さに勝てず24:00(日本1:00)には中〆となったが元気に飲み直す猛者もいた。

翌日は総統府での記念式典に出席。各国代表と共に馬英九総統に拝謁し握手を、一言、二言言葉を交わして会場へ移動するのだが事前に渡されたカードを担当者に提出する。氏名、肩書き、一ポイントの紹介が書かれているようで総統からは「ありがとうございます。1年振りですね。」と声をかけられた。確かに1年振りでそういう配慮は見習わなくてはと感じ、旧知の外交部幹部へ伝えると「AKBの握手券のまねですよ。」と嘘とも本当ともとれるコメントに大笑い。こういうウィットも台湾の明るさの一つだ。待合室ではラムズフェルド元国防長官とも再会を果たし、ペンタゴン訪問時の思い出話に盛り上がる一幕も。

式典では子供達から大学生まで台湾を代表する民族芸能、素晴らしいパフォーマンスを披露いただき、国家の意思を誇示する軍事パレードも目の当たりにした。
来年1月の総統選挙を意識した国費を投じた運動だと批判する団体が会場近くで抗議をしていたがこういう自由が保証されているのが中国との最大の違いだろう。それにしても世界中政治家の話は長い(笑)
式典後には日本の代表団だけが招かれた昼食会が催され改めて真の友人国として我国が特別である事をアピールされた。

今回の震災では台湾の緊急援助隊が真先に成田に到着したが中国の到着を気遣う政府によって一時空港での待機を強いられた。救援物資は560トン、義援金は193億を越える最大の支援国でもあるにも関わらず菅政権では正式な感謝さえ伝えなかった。先日、野田総理の所信表明に対する我党古川禎久青年局長の代表質疑に答える形で始めて公の場で謝意を表明するに至ったが、それでも台湾は日本を最も信頼してくれている素晴らしい隣国だと思う。
中国の軍事脅威が増す中での台湾海峡の重要性、安全保障上も経済上も年間120万人の相互往来のある観光面でも今まで培ってきた信頼関係を更に積み重ね自由・民主主義・法の支配といった共通の価値観を持ったアジアのパートナーとして日台両国の更なる友好を願う台湾訪問だった。外交の大切さは国の大小では無い。是非、市民の皆さんにも姉妹都市高雄へも一度訪問いただければと願う。

もっともそんな事を知っているのは一部の政府関係者やかつての議員仲間であり、もっぱら日台両国のマスコミの注目は第44代次期青年局長に内定した小泉進次郎議員だ。夜の懇親会では「私が41代局長になった時には記事にもならなかったが、“えー?萩生田さんて、進次郎もなった青年局長だったの”と話題になれば光栄。八王子へいつ来てくれるんだ?」と先輩風を吹かして爆笑をかった。
私達一行は羽田での結団式の後、わずか3時間で台北松山空港へ到着。昨年10月から就航した羽田-松山チャーター便は1日8便が連日満席に近い状態で運行されている。国交のない国と毎日定期的にチャーター便が飛ぶというのも不思議な話でどこまで彼の国に気兼ねをするのだろうと改めて思う。
台湾新幹線に乗り換え、まずは台中の健民国民小学校へ東日本大震災義援金拠出お礼の式典へ向かった。東海道新幹線とそっくりな車両にびっくりする小泉新局長に日本の鉄輪を導入してもらった経過やその事で空いた松山空港の国内線枠を羽田と結んだ経緯等を私からレクチャーさせていただいた。
因みにこの小学校は1999年の台湾大地震で校舎が倒壊し日本からの義援金で再建したことから「今度は日本の友人を助けよう」と児童達が小遣いなどから190万円もの義援金を送ってくれた学校だ。この時「日本の恩義を将来まで忘れてはならない」と校庭には「感恩亭」と名づけた東屋も建てられた。

「感謝」「加油日本」とプラカードを掲げた子供達の歌や踊りの大歓迎には私達一行もハンカチで目頭をおさえる感激をいただいた。
分刻みの日程で台北へ戻り記者会見や与野党議員との意見交流、夜には王金平立法院長主催の歓迎レセプションに出席した。
22:00からはホテルのラウンジを貸切っての麻生団長主催懇親会。日本関係者だけの気のおけない会ではあるが既にレセプションで紹興酒での「乾杯 乾杯」の洗礼を受けた一行は目をこすりながらの集合、この時間日本では23時。早朝から集まった全国の地方議員代表達は(私も)さすがに眠さに勝てず24:00(日本1:00)には中〆となったが元気に飲み直す猛者もいた。

翌日は総統府での記念式典に出席。各国代表と共に馬英九総統に拝謁し握手を、一言、二言言葉を交わして会場へ移動するのだが事前に渡されたカードを担当者に提出する。氏名、肩書き、一ポイントの紹介が書かれているようで総統からは「ありがとうございます。1年振りですね。」と声をかけられた。確かに1年振りでそういう配慮は見習わなくてはと感じ、旧知の外交部幹部へ伝えると「AKBの握手券のまねですよ。」と嘘とも本当ともとれるコメントに大笑い。こういうウィットも台湾の明るさの一つだ。待合室ではラムズフェルド元国防長官とも再会を果たし、ペンタゴン訪問時の思い出話に盛り上がる一幕も。

式典では子供達から大学生まで台湾を代表する民族芸能、素晴らしいパフォーマンスを披露いただき、国家の意思を誇示する軍事パレードも目の当たりにした。
来年1月の総統選挙を意識した国費を投じた運動だと批判する団体が会場近くで抗議をしていたがこういう自由が保証されているのが中国との最大の違いだろう。それにしても世界中政治家の話は長い(笑)
式典後には日本の代表団だけが招かれた昼食会が催され改めて真の友人国として我国が特別である事をアピールされた。

今回の震災では台湾の緊急援助隊が真先に成田に到着したが中国の到着を気遣う政府によって一時空港での待機を強いられた。救援物資は560トン、義援金は193億を越える最大の支援国でもあるにも関わらず菅政権では正式な感謝さえ伝えなかった。先日、野田総理の所信表明に対する我党古川禎久青年局長の代表質疑に答える形で始めて公の場で謝意を表明するに至ったが、それでも台湾は日本を最も信頼してくれている素晴らしい隣国だと思う。
中国の軍事脅威が増す中での台湾海峡の重要性、安全保障上も経済上も年間120万人の相互往来のある観光面でも今まで培ってきた信頼関係を更に積み重ね自由・民主主義・法の支配といった共通の価値観を持ったアジアのパートナーとして日台両国の更なる友好を願う台湾訪問だった。外交の大切さは国の大小では無い。是非、市民の皆さんにも姉妹都市高雄へも一度訪問いただければと願う。

hagiuda1 at 18:41|Permalink│
2011年10月07日
■「真に必要」?
朝霞市の国家公務員住宅工事現場を僅か7分視察した野田総理は少なくとも5年間の建築凍結を決定した。東日本大震災の復興を考えれば当然の対応だろう。しかしつい先月の予算委員会では「真に必要な住宅」と答弁を繰り返し他の閣僚も追従した。そもそも事業仕分けで凍結を決めたのにいつの間にか解除が決まり、その決定をしたのが当時の野田財相だ。「政務三役で充分な審議の末、真に必要と判断した。」と言うがこの時は何分の視察をしたのだろうか?地元市との話し合いも無く、請負業者への違約金も明らかにされていない。
しかも5年後は自分が総理でない事は明らかであまりにも国民をバカにしたパフォーマンスに怒すら感じる。
災害対策等で歩いてでも霞ヶ関に来なくてはならない人を対象とした公務員住宅の一定の必要性は私も認めるが当時党内でも厳しい議論がなされていたのを思い出す。
年収1000万を超える幹部職員が定年近くまで公務員住宅にいたり、あえて職場から離れた場所に開発をしてまで必要か?民間の家賃補助制度を充実した方が良いのでは?と・・・。
そんな中、私が拘っていたのは多摩ニュータウンの再生計画に併せて分譲マンションの建替えや旧公団住宅の再生の中に加えてはどうかという提案だった。
先日、多摩市の諏訪団地では民間のスキームで高層化をし、床を売る再開発の手法で建替えの第一号がスタートしたが全てが同様に対応を出来る訳では無い。
元々国の住宅政策で始まったNTだが入居者の高齢化や建物の老朽化が大きな問題になっており、開発当初の新住宅市街地開発法が役目を終えた今、国からの特別な支援はなく地権者や地方自治体だけではどうにもならない状況が生まれている。
そもそも改築しなくても空き部屋だらけの賃貸エリアも珍しく無い。復興が落ち着き、公務員宿舎のあり方が検討される頃には是非戻って議論に加わりたい。
三多摩から役人が都心へ通えば鉄道の事も道路の事も学校の事も私が言っていた事が「真に必要」な事と解かるだろう。
この連休は中華民国100周年祝賀式典に自民党歴代青年局長並びに高雄市との友好都市の功労者として招待を受け出席します。体育祭等行事があり、後ろ髪を引かれる思いですがかけがえの無い今後の日台関係の為にもお許し下さい。
しかも5年後は自分が総理でない事は明らかであまりにも国民をバカにしたパフォーマンスに怒すら感じる。
災害対策等で歩いてでも霞ヶ関に来なくてはならない人を対象とした公務員住宅の一定の必要性は私も認めるが当時党内でも厳しい議論がなされていたのを思い出す。
年収1000万を超える幹部職員が定年近くまで公務員住宅にいたり、あえて職場から離れた場所に開発をしてまで必要か?民間の家賃補助制度を充実した方が良いのでは?と・・・。
そんな中、私が拘っていたのは多摩ニュータウンの再生計画に併せて分譲マンションの建替えや旧公団住宅の再生の中に加えてはどうかという提案だった。
先日、多摩市の諏訪団地では民間のスキームで高層化をし、床を売る再開発の手法で建替えの第一号がスタートしたが全てが同様に対応を出来る訳では無い。
元々国の住宅政策で始まったNTだが入居者の高齢化や建物の老朽化が大きな問題になっており、開発当初の新住宅市街地開発法が役目を終えた今、国からの特別な支援はなく地権者や地方自治体だけではどうにもならない状況が生まれている。
そもそも改築しなくても空き部屋だらけの賃貸エリアも珍しく無い。復興が落ち着き、公務員宿舎のあり方が検討される頃には是非戻って議論に加わりたい。
三多摩から役人が都心へ通えば鉄道の事も道路の事も学校の事も私が言っていた事が「真に必要」な事と解かるだろう。
この連休は中華民国100周年祝賀式典に自民党歴代青年局長並びに高雄市との友好都市の功労者として招待を受け出席します。体育祭等行事があり、後ろ髪を引かれる思いですがかけがえの無い今後の日台関係の為にもお許し下さい。
hagiuda1 at 17:57|Permalink│