2012年10月
2012年10月26日
■東京 冬の乱
石原知事の突然の辞職、新党結成は正直驚きました。かねてから噂はありましたが先週、古くからの知事側近の皆さんと昼食を共にした時も、「晩節を汚さないでほしいね」と会話をしたところでした。大好きな親父ですし、国家への危機感や閉塞感は共有しますが今、都政を投げうって自身が立つべきか?伸晃氏が総裁ならこういう決心をしたか?と首をかしげるところです。いずれにせよ矢が放たれた以上、知事選に向け準備をしなくてはなりませんし、八王子では都議の補選も同日程となり12月に向け慌ただしくなりました。この際、衆議院選も一緒にやってもらえばと願います。それにしても80才。元気ですね。
在任中、文化庁の補助事業に認定した八王子城跡のガイダンス施設がオープンしました。当時の市の職員の皆さんと練り上げた施設は思ったよりもずっと立派な施設となりました。自然と歴史を散策する観光ルートの拠点として賑わってほしいと願います。そのオープンに合わせて元八王子地区連合町会では第一回の北條氏照まつりが行われました。北條縁の小田原や寄居からも武者姿での応援も駆けつけ、氏照に扮した元八王子八幡神社の梶原宮司さんを先頭に盛大なパレードも行われました。今年は手探りでの開催でしたが来年以降も続けて地域の活性化につながればと期待します。
待望の駅ビルセレオがオープンしました。前日には駅前に観光案内所もスタートし、石森市政の胎動を感じます。計らずもテープカットの指名をいただきましたが、こちらはJRとの交渉をちょっとお手伝いしただけで八王子城跡ガイダンス施設と間違えたのではないでしょうか?いずれにしても光栄な事です。



在任中、文化庁の補助事業に認定した八王子城跡のガイダンス施設がオープンしました。当時の市の職員の皆さんと練り上げた施設は思ったよりもずっと立派な施設となりました。自然と歴史を散策する観光ルートの拠点として賑わってほしいと願います。そのオープンに合わせて元八王子地区連合町会では第一回の北條氏照まつりが行われました。北條縁の小田原や寄居からも武者姿での応援も駆けつけ、氏照に扮した元八王子八幡神社の梶原宮司さんを先頭に盛大なパレードも行われました。今年は手探りでの開催でしたが来年以降も続けて地域の活性化につながればと期待します。
待望の駅ビルセレオがオープンしました。前日には駅前に観光案内所もスタートし、石森市政の胎動を感じます。計らずもテープカットの指名をいただきましたが、こちらはJRとの交渉をちょっとお手伝いしただけで八王子城跡ガイダンス施設と間違えたのではないでしょうか?いずれにしても光栄な事です。



hagiuda1 at 19:48|Permalink│
2012年10月19日
■「たすき」
追分町会の町政100周年記念式典にお招きいただきました。中町、三崎町〜追分までの旧市街地は同時期に町政をスタートしており100周年花盛りです。現職でもない私が呼ばれたのは在任中に携わった宿題、追分交差点の改良工事のご縁です。折角基本構想まで終えエレベーター付のループ歩道橋を計画していたのですが政権交代で暗礁に乗り上げてしまいました。140年を迎えた第二小学校の改築と併せて戻ったら直ぐに取り組む決意を誓いました。昨年の震災以来、町会や隣近所の大切さが見直されています。100年を契機に八王子のおへそである同町会の発展を祈りました。
党都連女性部(丸川珠代参議院議員)主催の研修会では全都の候補予定者が集まり「たすき」がけで決意を訴えました。八王子からも女性部の皆さんがバスで駆けつけ激励をいただきましたが、改めて身の引き締まる思いです。安倍新総裁のもと政権奪還を誓いました。
翌日は「奪還の会」の20回目の会合があり、ここでも新総裁が出席し、ゆっくりと現場の声を聞いていただきました。「民主党がダメなのは国民は解かっている。しかし、元の自民党に戻る事は期待していない。」だからこそ外からの現場の声を党改革や政策に織り交ぜ「新生自民党」をつくらなくてはならない。
これが新総裁と我々の共通認識でした。私からは中小企業支援策の強化と、「国会が開かれないのはけしからんが党本部がガラガラで戦う姿勢が見えない。こういう休会中こそ復興費の無駄遣いの精査等、党内でしっかり確認すべき。」と意見を申し上げました。
後援会の幹事長をお務めいただいている森屋義政さんの会社が創立50周年を迎え、読売新聞特別編集委員で市民でもある橋本五郎さんが記念講演をされました。政局の話と思いきや「それは萩生田さんに任せて・・・」と家族や故郷、「政治は心だ」と感銘する講演でした。会社の皆さんからは目に見える被災地の支援をしたいとの事で原発20Km圏内で他地区で仮設で頑張っている福島県南相馬市小高区 金房小学校へ備品(目録)の寄贈をいただき私が届けることになりました。立派な支援です。
党都連女性部(丸川珠代参議院議員)主催の研修会では全都の候補予定者が集まり「たすき」がけで決意を訴えました。八王子からも女性部の皆さんがバスで駆けつけ激励をいただきましたが、改めて身の引き締まる思いです。安倍新総裁のもと政権奪還を誓いました。翌日は「奪還の会」の20回目の会合があり、ここでも新総裁が出席し、ゆっくりと現場の声を聞いていただきました。「民主党がダメなのは国民は解かっている。しかし、元の自民党に戻る事は期待していない。」だからこそ外からの現場の声を党改革や政策に織り交ぜ「新生自民党」をつくらなくてはならない。
これが新総裁と我々の共通認識でした。私からは中小企業支援策の強化と、「国会が開かれないのはけしからんが党本部がガラガラで戦う姿勢が見えない。こういう休会中こそ復興費の無駄遣いの精査等、党内でしっかり確認すべき。」と意見を申し上げました。
後援会の幹事長をお務めいただいている森屋義政さんの会社が創立50周年を迎え、読売新聞特別編集委員で市民でもある橋本五郎さんが記念講演をされました。政局の話と思いきや「それは萩生田さんに任せて・・・」と家族や故郷、「政治は心だ」と感銘する講演でした。会社の皆さんからは目に見える被災地の支援をしたいとの事で原発20Km圏内で他地区で仮設で頑張っている福島県南相馬市小高区 金房小学校へ備品(目録)の寄贈をいただき私が届けることになりました。立派な支援です。hagiuda1 at 18:00|Permalink│
2012年10月12日
■iPSは再生医療の切り札
内閣改造から2週間が経っても、一向に国会を開く気配すら感じません。本来、各大臣が所信を表明し、それに対して担当委員会で質疑が行われるのが当然なのですが「与党は人事に時間がかかる」と国民が国会ルールを知らないと思ってうそぶいているのが許せません。
驚くことに復興の為の予算が全国の税務署の耐震工事等、被災地以外に使われている実態が明らかになり、その検証の為、我が党が開催を決めた決算行政委員会を民主党議員がボイコットしたというから開いた口が塞がりません。
一方、嬉しいニュースもありました。
京都大学iPS細胞センター長の山中伸弥教授がついにノーベル医学・生理学賞を受賞しました。人の皮膚細胞から新たな細胞をつくる研究は、真に再生医療の切り札として注目され、実用化を心待ちにする様々な患者さん達からも祝福と期待の声が上がりました。
山中教授と中高同級生と言う世耕弘成参議院議員の紹介で文科大臣政務官就任直後に詳しいレクを受けたご縁で、私もiPS応援団を自負してまいりましたので、受賞の報には喜びもひとしおでした(永田町見聞録 2008年 8月22日号 参照)
当時、米国と日本を半々で行き来していた山中教授は、「アメリカの研究所では入出のセキュリティは厳しいが、中では研究者同士が自由に議論したり、他チームの研究をお互いが尊重し、サポートし合う、壁の無い研究所が研究を加速させている。国内にも是非必要だ。」と力説され、今日のセンター建設の礎づくりに私なりに奔走しました。ドクターのポストが少なく、優秀な研究者が海外へ流出したり、畑違いの仕事で働かざるを得ない実態など、研究者が中々職業として従事出来ない苦労や、日本の基礎研究のストックが埋もれている危機感も切実に訴えられましたが、最も印象的だったのは「日の丸」にこだわる教授の姿勢でした。
豊富な研究費や環境を条件に海外からの招聘の話は数多くある中、「実用化が決まった時に日の丸を背中に学会で発表するのが夢です。日本人はこんな事ができるんだって世界に知らしめたいじゃないですか。」と、とことん国内研究に拘り語る教授の言葉は胸に迫るものがありました。
私が決して得意ではない科学技術を堂々とライフワークにしたのも、「専門性なんていりません。政治家は夢を語って、形にするのは我々科学者の役目ですよ。」という山中教授のアドバイスからです。
失った角膜を再生し、光を取り戻したり、継続的治療が必要となる前の健康体に戻し、医療費の削減につなげたりと、再生医療は我が国の財政や産業をも大きく変える研究と確信しています。
一日も早く政権を奪還し、有意義な研究を後押しできる政府をつくれるよう決意を新たにしました。山中先生、心からおめでとうございます。
驚くことに復興の為の予算が全国の税務署の耐震工事等、被災地以外に使われている実態が明らかになり、その検証の為、我が党が開催を決めた決算行政委員会を民主党議員がボイコットしたというから開いた口が塞がりません。
一方、嬉しいニュースもありました。
京都大学iPS細胞センター長の山中伸弥教授がついにノーベル医学・生理学賞を受賞しました。人の皮膚細胞から新たな細胞をつくる研究は、真に再生医療の切り札として注目され、実用化を心待ちにする様々な患者さん達からも祝福と期待の声が上がりました。
山中教授と中高同級生と言う世耕弘成参議院議員の紹介で文科大臣政務官就任直後に詳しいレクを受けたご縁で、私もiPS応援団を自負してまいりましたので、受賞の報には喜びもひとしおでした(永田町見聞録 2008年 8月22日号 参照)
当時、米国と日本を半々で行き来していた山中教授は、「アメリカの研究所では入出のセキュリティは厳しいが、中では研究者同士が自由に議論したり、他チームの研究をお互いが尊重し、サポートし合う、壁の無い研究所が研究を加速させている。国内にも是非必要だ。」と力説され、今日のセンター建設の礎づくりに私なりに奔走しました。ドクターのポストが少なく、優秀な研究者が海外へ流出したり、畑違いの仕事で働かざるを得ない実態など、研究者が中々職業として従事出来ない苦労や、日本の基礎研究のストックが埋もれている危機感も切実に訴えられましたが、最も印象的だったのは「日の丸」にこだわる教授の姿勢でした。
豊富な研究費や環境を条件に海外からの招聘の話は数多くある中、「実用化が決まった時に日の丸を背中に学会で発表するのが夢です。日本人はこんな事ができるんだって世界に知らしめたいじゃないですか。」と、とことん国内研究に拘り語る教授の言葉は胸に迫るものがありました。
私が決して得意ではない科学技術を堂々とライフワークにしたのも、「専門性なんていりません。政治家は夢を語って、形にするのは我々科学者の役目ですよ。」という山中教授のアドバイスからです。
失った角膜を再生し、光を取り戻したり、継続的治療が必要となる前の健康体に戻し、医療費の削減につなげたりと、再生医療は我が国の財政や産業をも大きく変える研究と確信しています。
一日も早く政権を奪還し、有意義な研究を後押しできる政府をつくれるよう決意を新たにしました。山中先生、心からおめでとうございます。
hagiuda1 at 18:06|Permalink│
2012年10月05日
■いちょうの会
一年に三度目となる改造内閣。何を目指して、何をしたいのか全く解らない人事で党内造反阻止の為の落石防止内閣とでも言いましょうか?3年前には子供手当はじめ目玉政策だった少子化担当相は民主党政権で10人目、消費者担当相9人目、法相、公務員制度改革担当相は8人目、拉致担当相に至っては7人目、法の番人たる法相が外国人からの献金が発覚し早速謝罪会見という醜態です。これでは政策を前に進める事など出来ず、どなたかの言った肩書きづくり、思い出づくりにしかなりません。安倍執行部には1日も早い解散に向け必要な審議を速やかに済ませていただきたいですが臨時国会を開く気配さえ感じません。
「八王子いちょうの会」という舞踊グループの会長になってしまいました。本市には民踊協会という伝統組織があるのですが、「流派や格式にこだわらずもう少し気軽に舞踊を楽しみたい」と市議会の時代に相談を受けた皆さんに「協会との関係も保ちながらレクリエーションの感覚で新しいグループで活動してはどうか」と無責任にもアドバイスしてしまい今年で13年が過ぎました。
その間、多くの団体が参加していただき、八王子まつりの民謡流しでは最大の連となり当初の目的通りに楽しく運営がなされているようでホッとしています。「先生」とか「名取り」とか「師匠」というより「おっかさん」「姉さん」的に親しくお付き合いを続けていますが、この度創成期から会長を務めていただいた佐藤甲子雄さんが高齢を理由に勇退し、その後任を「仕事がないんだから・・・」と押し付けられてしまいました(笑)
主催者控え室では「おっかさん」達が手作りで持ち寄った煮物やお菓子で会話に花が咲き、入れ替わり立ち替わり「ヘルニアの病院はどこがいい」とか「孫が学校でこんな事があった」とか真に現場の声を聞かせていただいています。「客席に行かなくていいのかな?」という私に「会長は踊り観てる場合じゃないでしょ。負けるわけには行かないわよ。」と発破をかけられ会場を後にしました。

明年の都議選に向け、支部では選考会が開かれ、申請のあった相川博都議と近藤充市議を公認候補予定者として党都連に上申する事となりました。伊藤祥広市議も申請を検討したのですが、始動したての石森市政を支える与党幹事長としての責任や、地域性、きっと私の再起も思いかばって最終的には市政にとどまる決断をしました。候補者になりうる力量は充分ありましたが、「過去、都議選の公認を巡り常にしこりを残してきた党の失敗を繰り返してはならない」と大局での判断をした伊藤議員の決断は立派でした。市政のエースとして存在感を増して、次の機会を目指して欲しいと思いますし、残った両名にはその重い決断をしっかりと胸に必勝を期して欲しいと念じます。
「八王子いちょうの会」という舞踊グループの会長になってしまいました。本市には民踊協会という伝統組織があるのですが、「流派や格式にこだわらずもう少し気軽に舞踊を楽しみたい」と市議会の時代に相談を受けた皆さんに「協会との関係も保ちながらレクリエーションの感覚で新しいグループで活動してはどうか」と無責任にもアドバイスしてしまい今年で13年が過ぎました。
その間、多くの団体が参加していただき、八王子まつりの民謡流しでは最大の連となり当初の目的通りに楽しく運営がなされているようでホッとしています。「先生」とか「名取り」とか「師匠」というより「おっかさん」「姉さん」的に親しくお付き合いを続けていますが、この度創成期から会長を務めていただいた佐藤甲子雄さんが高齢を理由に勇退し、その後任を「仕事がないんだから・・・」と押し付けられてしまいました(笑)
主催者控え室では「おっかさん」達が手作りで持ち寄った煮物やお菓子で会話に花が咲き、入れ替わり立ち替わり「ヘルニアの病院はどこがいい」とか「孫が学校でこんな事があった」とか真に現場の声を聞かせていただいています。「客席に行かなくていいのかな?」という私に「会長は踊り観てる場合じゃないでしょ。負けるわけには行かないわよ。」と発破をかけられ会場を後にしました。

明年の都議選に向け、支部では選考会が開かれ、申請のあった相川博都議と近藤充市議を公認候補予定者として党都連に上申する事となりました。伊藤祥広市議も申請を検討したのですが、始動したての石森市政を支える与党幹事長としての責任や、地域性、きっと私の再起も思いかばって最終的には市政にとどまる決断をしました。候補者になりうる力量は充分ありましたが、「過去、都議選の公認を巡り常にしこりを残してきた党の失敗を繰り返してはならない」と大局での判断をした伊藤議員の決断は立派でした。市政のエースとして存在感を増して、次の機会を目指して欲しいと思いますし、残った両名にはその重い決断をしっかりと胸に必勝を期して欲しいと念じます。
hagiuda1 at 18:42|Permalink│